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徳之島におけるさとうきび生産・収穫システムの革新に向けた新たな取組

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最終更新日:2011年11月9日

徳之島におけるさとうきび生産・収穫システムの革新に向けた新たな取組

2011年11月

東京大学大学院農学生命科学研究科 准教授  中嶋 康博
博士課程 今井 麻子

 

【要約】

 徳之島では旧来の営農手帳(野帳)を電子化した電脳手帳を平成17年度から利用し始めた。この電脳手帳は、きめ細かなほ場の現状把握を可能にし、関係機関一体となって、製糖工場のより効率的で安定的な操業に貢献してきた。徳之島の例から他地域にも適用可能なIT化の条件を検討する。

1.徳之島の概要

 鹿児島市の南南西約468kmに位置し、周囲84km、面積約248?、奄美群島の中央に位置する。徳之島町、天城町、伊仙町の3町から構成されていて、総人口は2万6440人、世帯数1万2567戸である(第56次鹿児島県農林水産統計年報平成20〜平成21(平成22.3月)より)。

 地形は、井之川岳を主峰とする山脈が中央部を走り、島を東西に両断しており、海岸線に向かって急、緩傾斜をなしている。河川の主なものに秋利神川、万田川がある。  気候は、亜熱帯海洋性で四季を通じて温暖であり、年間平均気温は、21℃以上である、年間降水量は1950mm程度であり、降雨が梅雨と台風襲来時に集中する一方で、7月から10月は比較的少ないため、干ばつの被害を受けやすい。

 土壌は、中央山地および奥部は古生層からなり、一部に花崗岩の風化土がみられる(図1参照)。南西部は琉球石灰岩の風化土から成り、赤色の粘土分の強い土壌で、作物生育の阻害要因ともなっている。島の土壌は赤褐色の重粘土壌、乾くと団結して起耕などでは、高性能の機械力を要し、逆に降雨の時は排水不良のため、4〜5日もほ場に入れない状態になる。また、サンゴ礁が地表近くまで隆起し、表土が少なく作物の成長阻害要因と成っているところもある。
 
 

2.農業生産

 徳之島の総面積は奄美大島の3分の1に過ぎないが、耕地面積は約6890haで奄美群島中最大である。さとうきびを主体に、ばれいしょなどの野菜や肉用牛との複合経営の農業が営まれている。農家一戸当り土地面積は約2.4haで平成20年では県平均の1.7倍であり、同群島中最も農業の盛んな島である。ただし農家数は年々減少している(図2参照)。また、さとうきび農家の半分以上が1.5ha以下である(図3参照)。
 
 
 
 
 平成20年度「奄美群島の概況」によると、農業産出額(平成21年度)は約107億6千万円で鹿児島県全体の2.7%を占める。その内訳は、サトウキビ(42.0%)、野菜(31.5%)、肉用牛(20.1%)、果樹(3.3%)となっている。

 同島のさとうきび生産額は、奄美群島のさとうきび全生産額の約50%、平成20年度のさとうきびの栽培面積は4266haで島内の総作付面積の62%、同生産額は58.5億で総生産額の48%である。さとうきび生産の地域経済への波及効果はその約4倍(県の試算)あると言われており、重要な基幹品目として位置づけられているとともに、青果物生産において、有機物の供給源としても重要な役割を担っている。

 また、国営徳之島用水土地改良事業が平成9年度に開始され、平成25年度にダム本体の完成を目指して工事が進められている。同事業での畑かん営農の推進による経営規模拡大、生産性向上が期待されている。

3.さとうきび生産

(1)歴史と現状

 徳之島でさとうきびがいつから生産されたのかは明確ではないが、薩摩藩が享保20年(1735年)、同島にさとうきび専任の役人「黍横目」を置いたころより本格的な砂糖製造が始まったとされている。

 明治維新以降、奄美の糖業は衰退したが、明治40年頃より農商務省も糖業の奨励に乗り出し、同島は群島第一の産糖地となった。台湾よりジャワ系統の大茎種「POJ2725」が導入され、産糖量は増加した。その後、昭和16年の太平洋戦争突入と同時に作付面積・産糖量は急速に減少したが、昭和28年日本への復帰と共に、小型黒糖工場が次々に設置されることになり、それらは近代化製糖工場へと発展していった。現在は、島内に2カ所の製糖工場(伊仙工場・徳和瀬工場)が稼働している。

 さとうきびの収穫面積は平成17年産の3415haが最低であったが、さとうきび増産プロジェクトの効果により平成18年産から反転拡大し始め、品種構成を変えながら、平成22年産には3951haまで回復した(図4参照)。また、単収と糖度も徐々に向上してきている(図5参照)。
 
 
 
 
 同島は、ハーベスターや管理作業機械の普及による機械化一貫体系が、鹿児島と沖縄の両県中で最も進展している地域であり、ハーベスター収穫率は平成22年度には90%に達した。規模拡大が進み、平成20年度までに生産量500tを超える農家は27件、生産量1000tを超える農家も6件となった。

 作型別では、株出が6割弱の割合で推移している(図6参照)。
 
 

(2)南西糖業株式会社

 現在の南西糖業(株)の設立の経緯は以下の通りである。

昭和28年 奄美群島本土復帰
昭和29年 大島糖業設立(現在の三井製糖子会社)
昭和30年 大島糖業平土野工場、同犬田布工場操業開始
昭和33年 大洋殖産設立(現在の塩水港精糖子会社)
昭和34年 大洋殖産伊仙工場操業開始
昭和41年 大島糖業と大洋殖産が対等合併し、南西糖業発足

 さとうきび価格の低迷や農家の高齢化などにより作付面積が減少したため、平成7年に1工場(徳和瀬工場)を休止して2工場体制となり、その後平成9年から現在の徳和瀬、伊仙の2工場体制で操業している。その後、生産拡大に向け、関係機関・団体および行政などが一体となり、『さとうきび・糖業ルネッサンス計画』を遂行して、バイオ苗(メリクローン苗)の普及、農作業の機械化などによりさとうきび高品質安定生産に努めた結果、生産量は徐々に増加しつつある(図7参照)。同社が事務局となって徳之島さとうきびジャンプ会(さとうきび大規模農家の組織)を進めると共に、研修会や講演なども積極的に開催している。
 
 

(3)さとうきび生産を支える組織

 製糖工場への計画搬入がこの数年改善されている。その背景には、関係機関が役割分担を明確にしつつ一体となって諸課題に取り組み、さとうきび産業の発展につなげるための地道な努力が行われてきたことがある。具体的には、徳之島さとうきび生産対策本部の活動と、操業計画に基づく集出荷体系があげられる(図8参照)。

 徳之島さとうきび生産対策本部では、さとうきび営農推進活動を進めるため、同本部で組織する運営企画委員会で協議し、「3町糖業部会」で推進活動を実践している。

 さとうきびの集出荷は基本的に南西糖業株式会社とJAあまみ(徳之島事業本部・天城事業本部)との間で一元集荷契約と原料運搬契約が結ばれている。また、輸送契約については、JAあまみと徳之島さとうきび輸送組合の間で取り交わされている。

 JAあまみは、生産者と営農集団などの受託者との間で、さとうきび栽培作業の受委託を効率的に把握し、JAの事務作業の合理化を進めている。平成22年におけるさとうきび収穫の90.0%は133台のハーベスターで行われた。収穫されたさとうきびは南西糖業(株)の2工場(伊仙工場・徳和瀬工場)へ搬入されるが、その集荷距離は2.5km〜34km、原料平均輸送距離は14.1km(平成21年度実績)となっている。輸送車輛は小型移動式クレーン付の6t〜10t車輛である。

 計画搬入は、生産者、JAあまみ、輸送組合、南西糖業株式会社、行政などが一体となった「集出荷協議会」で協議されている。協議内容は、1)毎朝の各工場構内残量80t未満を目標にした適正搬入量の遵守、2)輸送中の問題への対応、3)工場内荷下ろし状況報告などである。構内残に関しては、工場歩留への影響が大きいことの認識を関係機関で共有し、搬入調整に努めている。こうした努力の結果「利用率(工場歩留/買入糖度)」は平成16年度以降「88%以上」と高い数字となっている。ただし、雨天時はハーベスターによる収穫が困難となり少量の手刈り収穫原料によるため、計画搬入調整が困難といった問題も生じている。
 
 
 徳之島にはJAあまみの事業本部が2ヶ所あり、徳之島事業本部と天城事業本部がある。JA徳之島事業本部では協力員、JA天城事業本部では駐在員がおり、計画搬入においてJAとのやりとりと、ハーベスター集団への指示を行う。協力員はかつての手刈り集団を元に形成されているのに対し、天城町の駐在員は一集落に一名配置されている。ただし、駐在員は1年を通しての契約であり、さとうきび以外のやり取りに関しても役割を担っている。

5.電脳手帳の利用の変遷とその意義

(1)概要

 生産量の正確な把握は、製糖工場の操業計画を大きく左右し、工場の安定操業の鍵となる。これまでは、「営農手帳」(野帳)に耕作状況を手書きで記帳し、手作業による各種集計や年次更新を行っていた。また、記帳したデータは担当者限りのデータとして処理され、毎年の営農手帳の更新は農家ごとに耕作状況を書き写さなければならず、手作業による各種集計や年次更新に非常に手間がかかっていた。そこで、平成17年度より「電脳手帳(営農手帳システム)」が試験的に開始された。電脳手帳になって、各町の3事務所(徳和瀬業務事務所・伊仙業務事務所・平土野業務事務所)の担当員(業務委託契約調査員)が「農家管理情報センター」において農家の耕作データを入力し、データベースとして整備されている。その結果、各種集計や年次更新に手間がかからなくなった。技術員(所長以下社員)は、担当員が調査して電脳手帳を入力した「農家情報(農家別・ほ場一筆ごと)」の確認が可能である。

 担当員が農家ごとに出荷実績を電脳手帳へ入力することで、技術員は各集落・農家の「残量や進捗状況」把握が可能である。製糖期間中は、毎日朝9時に詳細な報告書、原料受け入れ日報が作成され、工場別の作型集計や、町別に製糖状況を把握できる。こうしたきめ細かい現状把握を逐次行い、収穫作業が遅れている地区は、その遅れを挽回するため、当初搬入計画を修正し、調整している。
 
 
 
 

(2)意義と今後の課題、(他地域への活用の検討)

 操業期間中、JAと製糖工場では、工場の安定操業につなげるために生産量の更正を一カ月に一回のペースで行っている。

 生産量の更正は、技術員が電脳手帳のほ場ごとの実績と見込みを比較し、各集落の担当員と検討して生産量見込みを算出する。製糖期間中、4〜5回の生産量更正が実施される。徳之島には2工場あるため、両工場が同時終了ができるように終了予定日の2週間前にはJAと糖業とで毎日残量確認をし、刈り残しの内容ほ場確認と搬入調整を行っている。

 「さとうきび生産見込みおよび更正」の精度向上は、工場の操業計画だけでなくJA集荷・配車計画にとっても重要な課題であり、電脳手帳活用により、これまで以上に詳細な検証が可能となった。JAでまとめる農家申告データとの照合を行うことも精度向上に貢献している。

 こうした、生産量の更正だけでなく、集計作業が容易になったという点にも注目すべきである。特に、毎年6月1日に行われる面積調査の更新も、農家ごとやほ場ごとにデータを得られることから、非常に容易に行えるようになったという。

 そもそも、何故、製糖業において情報の電子化の必要があるのか改めて考察し、他地域への応用が可能であるのかをここで考察したい。

 まず、電子化情報をうむためである。しかも、その情報により労働節約することが価値に直結している点があげられる。例えば、さとうきびは刈り取りから24時間以内に処理される必要がある。時間とともに品質の劣化により、生産性が低下するためである。正確な刈り取り状況を把握することは、処理量を越える刈り取りを減らし、その事自体が価値に直結する。

 また、収穫計画の実行が利益を生むが、そのためにはIT化し人を減らして価値を見出す点も重要である。現在でも、各地域にほ場を日々見回る人を配置しているが、こうしたマイクロなデータを取りまとめるのにIT化を活用する意味があると言えよう。人口減少時代を迎えた日本において、管理労働の生産性の確保は重要な課題であるが、農業においてもしかりである。管理作業の生産性を正確に把握し、適正な人員で実行することにより、作業の効率化を図ることが重要である。

 こうしたIT化は他の地域でも、適用可能である。しかしながら、他の島で同様の価値を生むかどうかは、それぞれの実情を見極めた上で判断する必要があろう。第一に、ハーベスター収穫が一定以上の比率でその地域で導入されているということがIT化のための条件となるだろう。

 そもそもIT化のためには情報の標準化が必要となる。手刈りでは、一度の収穫量が限られており、またそのデータは均一とは言いがたい。これに対して、ハーベスターでの刈り取りは一回の収穫量が多く、またデータとしても標準化され、よりIT化に適しているといえる。バッチ処理が大きいからこそ、情報の集約・加工のメリットも生まれる。この他にも、ハーベスターの導入が進んでいることは、情報集約の効率性の点からも利点がある。製糖期間中に担当員が日々の出荷実績の情報収集を行い、データ管理を行っているが、手刈り農家の収穫作業時期を管理する必要があるのに対し、ハーベスターでは管理対象が約130台と範囲が狭くなる。

 ちなみに、この地域でハーベスターの導入が進んでいたことに関しては、島のほ場に適した小型ハーベスターの導入をいち早く進めたこと、収穫後の株出管理技術の普及、土地改良事業の進展が貢献している。

6.結論

 徳之島の平均的農家は小規模であるため、個人で機械を導入することが難しく、集団によるハーベスターによる刈り取りに移行せざるを得なかった。こうしたハーベスター収穫の計画的実行は製糖業の生産性を左右する。営農手帳から電脳手帳に移行することで、常時工程を監視・管理をし、計画をきめ細かく修正しながら実行していくシステムを組んだことは、収穫作業の効率を上げる上で大きな意義があった。その電脳手帳をより有効なものにするには、各地域に配置された担当員からの現場の情報を正確に集約することが必須である。

 製糖工場は多くの関連機関との協力が重要である。製糖工場とJA、JAとそのハーベスター集団、新たな収穫受委託組織など、さまざまな機関が一体となり諸問題を協議し、解決していく必要がある。そのため、製糖工場だけでなく、ほ場から製糖にいたるまでの全体を製糖のフードシステムと捉えることが必要である。そのフードシステム全体の効率性を向上させるには、情報の共有化と組織間連携の調和を進めなければならない。

 例えば製糖業において、既に地域にオペレータが存在して、刈り取り作業が行われていたとしても、日々の生育状況を十分に把握し、情報を集約しオペレータにつないでいく人材が重要である。高齢化により、こうした人材の育成が懸念されるが、これまでのように、長年の経験により培われた情報の伝達では、非効率なままとなる可能性が大きいだけでなく、伝承は難しい。また、そもそもそうした継承者が存在するかも疑問である。そのためにも、IT化により、関連する多くの人と情報共有が可能になることは意義が大きい。こうしたシステムがないと、非効率的でも多くの作業員を残さなければならない。

 製糖のフードシステムの効率化について、ここまで述べたが、持続的な「さとうきび産業」には、何よりもまず安定した経営体の確保が重要である。生産の現状に目を向けると、農家数が減少するなか、一方で昨今の経済不況から、本土で就職口がないため徳之島に若い人が戻ってきている状況がある。こうした島へ帰還した若者の中には、とりあえずさとうきびを生産する者も少なくない。このことは、規模拡大を指向する農家が土地を借りられないという構造を生んでいる。このままでは経営の大規模化は難しい。島全体での生産の発展のためには、構造的な問題に関しても目を向ける必要があるだろう。
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