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話題 畜産の情報 2020年9月号

欧州諸国で高まる有機農業への期待と有機畜産の課題

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立教大学 経済学部経済政策学科 准教授 大山 利男

1 欧州諸国で高まる有機農業への期待

 ここ数年、欧州諸国における有機農業への関心と期待の大きさは、それ以前とは一線を画するものとなっている。EUおよび各国政府が進める「持続可能な開発目標」(SDGs)において、食料・農業問題は重要な政策分野となり、ドイツでは有機農業が最優先の政策オプションとして位置付けられ、農業政策のメインストリームとなりつつある。本誌でも紹介された、欧州委員会の報告書「Organic farming in the EU」(本誌2019年11月号)や「2019EU農業アウトルック会議」(本誌2020年3月号)はまさに同様の文脈にあると理解できる。政府要人のスピーチでも、欧州グリーンディールの推進を踏まえて有機農業の重要性がたびたび強調されている。

2 有機農業の展開と畜産的土地利用

 欧州は、世界の有機農業をリードしてきた地域と言ってよい。生産面では、全農地に対する有機農地面積のシェアの高さが注目されてきた。リヒテンシュタイン(38.5%)、オーストリア(24.7%)を筆頭に、イタリア(15.8%)、スイス(15.4%)、デンマーク(9.8%)、スペイン(9.6%)、ドイツ(9.1%)、フランス(7.3%)といった具合である(FiBL & IFOAM 2020による。数値は2018年現在、以下同じ)。ちなみにフランスは、有機農地の拡大ペースも著しく、2017〜18年の1年間に27万ヘクタール、16.7%も増加した。
 2018年におけるEU加盟国の有機農地の利用区分を見ると、耕種農地44%、永年草地44%、永年作物11%、その他1%である(FiBL & IFOAM(2020))。農地の半分近くが「永年草地」であり、飼料用穀物や青刈飼料を生産する「耕種農地」の一部を含めると、過半の有機農地が畜産に供されている。このように有機畜産の土地利用割合が高いことは、持続可能な土地利用・国土管理という点で、有機畜産が重要な位置に置かれる大きな要因である。
 ちなみに日本の有機農地は、認証されていない有機農地を含めて約0.5%のシェアと推定され、欧州諸国とは桁違いに小さい。日本では有機農地として管理されている草地が9%と少ない点も大きく異なる。また、有機の畜産経営も少ない。しかし、草地・放牧地などの土地利用と結び付いた有機畜産が多少なりとも増加すれば、国内の有機農地を飛躍的に増加させる可能性がある。

3 有機畜産物の消費動向

 欧州地域は、北米地域と並ぶ大きな有機食品市場を形成している。ドイツ、フランスの有機食品市場は米国に続く世界第2位、第3位の規模であり、小売販売額はそれぞれ109億1000万ユーロ、91億3900万ユーロである。また、フランスは市場の成長も著しく、2018年の対前年比成長率は15%であった。その他、スイス、デンマーク、ルクセンブルク、アイルランドも10%を超える成長を続けている。
 畜産物の消費は、各国の農業構造や食文化を反映するので一様ではないが、鶏卵は多くの国で最も有機比率の高い品目となっている。FiBL & IFOAM(2020)によれば、デンマークでは32.6%、フランスでは29.6%、スイスでも26.6%の鶏卵が「有機」として販売されている。また、牛乳・乳製品も有機比率の高い品目である。オーストリアでは牛乳の23.2%、ヨーグルトの21.9%、スイスでは牛乳の16.7%、乳製品の12.9%、デンマークではバターの16.6%、フランスでは牛乳の12.7%が「有機」として販売されている。より「ローカル」志向の強い養鶏(卵)、酪農部門は先んじて有機生産への転換が進んでいるのである。
 

 
 なお近年、欧州・北米諸国ではベジタリアン、ヴィーガン(絶対菜食主義)の消費人口が増えている。これは有機食品を志向する消費者の間に顕著なトレンドで、動物性食品に代替する食品(Plant-based)の製品開発も進んでいる。この点は、有機畜産物の消費に今後何らかの影響を及ぼすと考えられるので、注視しておきたい点である。

4 有機畜産の意義と画期

 ところで、そもそも有機畜産とは何か、何故に支持されてきたのか、という本質的な問題にも立ち返っておきたい。
 もともと欧米諸国の有機農業運動、特に有機畜産に大きな影響を与えたのは、イギリスのルース・ハリソンが著した『アニマル・マシーン』(1964)と考えられている。本書は1950年代から1960年代初頭に普及する、いわゆる「近代畜産」ないし「工場的畜産」の実態と問題点を明らかにした著作である。目次を拾うと、ブロイラー・チキン:合理化の極限・近代養鶏、ニワトリ処理場:〈製品〉となるための最後の恐怖、ケージ養鶏:ニワトリ〈工場〉の狂気、ヴィール・カーフ:貧血地獄にあえぐ幼い命、家畜工場のいろいろ、といった内容である。高密度の舎飼い管理がもたらす動物の苦痛、不健康、大量の排せつ物がもたらす環境問題、食品としての畜産物の質的低下といったポイントは、どれも今日に通用するテーマである。
 この著作は、イギリス社会に大きな反響を呼び、政府内にはブランベル委員会が設置された。そこでとりまとめられた「ブランベル・レポート」の精神は、その後、1990年代以降のEUのアニマルウェルフェア関連法規制、2000年代以降のOIE事務局のアニマルウェルフェア国際ガイドラインの策定へと連綿と続いている。ちなみに著者ルース・ハリソンは、イギリスの有機農業団体「ソイルアソシエーション」の発足当時の理事でもある。同時期の著作として、農薬による深刻な環境汚染に警鐘を鳴らした米国のレイチェル・カーソン『沈黙の春』(1962)は日本でも有名だが、そのレイチェル・カーソンが『アニマル・マシーン』に序文を寄せていた点は大変興味深い。今日に続く有機農業とアニマルウェルフェアの問題意識は、その起源において共通していたのである。
 その後の有機畜産の展開過程を振り返ると、いくつかの画期を見ることができる。簡潔にまとめると、
 1960〜70年代:アニマルウェルフェアの問題意識が巻き起こった時期
 1980〜90年代:環境意識の高まりが農業環境政策を後押しし、その一環で粗放的な有機畜産が支援された時期
 1990〜2000年代:BSE危機のインパクトが有機畜産物への需要を急増させた時期(有機市場の成長)
 2000〜10年代:表示規制(有機認証制度、環境保護・アニマルウェルフェア等の表示制度)の普及と、有機・サステイナブル・エシカル市場の拡大期
 ということになるだろう。
 このように振り返ると、有機畜産に期待されてきたことは、変化する社会の問題意識を反映しながら、必ずしも一義的ではなかった。ただ、欧州諸国で有機畜産への関心、特に有機畜産物への需要が急拡大したのは「BSE危機」の時であったというのが定説である。「消費者」という存在感の増大が、有機市場の成長、有機農業の拡大を促したことは明らかである。

5 有機畜産の発展の鍵は何か

 有機畜産の発展のためには、生産技術上の課題、農業経営上の課題、需要者・消費者対応などの課題があり、さらに畜種ごとの固有の課題も多々検討される必要がある。
 ただ、畜産全般に共通するのは、生産者(農業者)が個別に努力できる範囲を超えたところに大きな課題がある、という点である。多くの消費者を意識した「有機」のサプライチェーン、フードシステムの構築が求められている。有機野菜の生産者であれば、消費者への直接販売など、比較的自由で多様な販売チャネルの可能性があり、小分けの容易さや、常温流通ができる点も強みである。ところが畜産では、もともと殺菌処理やカット、加工などの専門業者の存在が欠かせない。冷蔵、冷凍による保管、流通も欠かせない。また、もと畜などの導入や飼料などの生産資材の調達も生産者単独では対応が難しく、ほとんど不可能なこともある。これは有機畜産であっても同じである。有機畜産であればこそであるが、関連事業者が全体として「有機」のサプライチェーン、フードシステムを構築している必要がある。
 欧米諸国において有機畜産が成り立ってきた背景には、主要な有機農業団体がもともと共同販売組織の役割も担っていたという経緯がある。さまざまな関連業者、専門事業者との交渉やサプライチェーンの構築が当初より取り組まれてきた。
 日本において有機畜産を展望するときも、慣行生産から有機生産への転換プロセスに関する技術的、経営的課題を確認する必要性は大きい。しかし、有機畜産の関連事業者によるサプライチェーン、フードシステムの構築も大きな課題である。有機農業ないし有機畜産に支援的なサプライチェーン、フードステムを構築していけるならば、まさにSDGsの推進にもかなっているのではないだろうか。

(プロフィール)
1990年より(財)農政調査委員会研究員、2006年よりスイス・FiBL客員研究員(Forschungsinstitut für biologischen Landbau, 有機農業研究所)、農林水産政策研究所研究員などを経て2010年より現職。