(1)EUの共通農業政策から英国独自の農業政策へ
EU離脱前の英国の農業政策は、EU全体の共通農業政策(CAP:Common Agricultural Policy)の中で実施されてきた。CAPは、食料の安定供給、農業者の所得補償、環境保全農村振興などを目的とするEU域内共通の総合的農業政策であり、直接支払制度などの所得・価格政策(第1の柱)と農村振興政策(第2の柱)で構成されている。
英国環境・食糧・農村地域省(DEFRA)は2020年11月、イングランド(注)のEU離脱後の新たな農業政策として「農業移行計画:持続可能な農業への道」を公表した。この農業移行計画では、それまでのCAP下で行われてきた面積に応じた直接支払制度は、大規模農家に資金が集中し、また、農地価格を押し上げる要因の一つであって、農家にとって不公平な制度であったとした。そのため、21年から27年までを移行期間として直接支払制度を段階的に縮小・廃止し、その代替として生産性、技術革新、環境的な土地管理に資金を投入するとした。これにより、食料安全保障を図りつつ、農業部門が持続可能性を有した状態で活性化することを目標に掲げている。
この移行計画実施後の政府による農業支援額の推移は図8の通りである。21年以降の支援額は減少しており、22年は前年比10.2%減の29億6900万ポンド(5781億円)、23年は同0.6%減の29億5300万ポンド(5749億円)である。内訳を見ると、最大の支出先である直接支払の交付額は、前述の計画に沿って減少しており、21年の28億2500万ポンド(5500億円)から23年には20億5000万ポンド(3991億円)と約8億ポンド減少した。一方、持続可能な取り組みを行った場合に交付される奨励金などの農業環境スキーム関連の支払いは、21年の3億6200万ポンド(705億円)から23年には6億6600万ポンド(1297億円)と増加し、直接支払い減少分の一部を補っている。
次項以降、英国農業政策の根幹部分となる直接支払制度と農業環境関連制度の内容について概説する。
(注)英国は、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドから構成される連合王国であり、農業に係る権限は各構成国にある。そのため、以下で記載する直接支払制度や環境土地管理制度(ELMS)などの農業関連スキームについては、現在のところイングランドのみに適用されることに留意いただきたい。
(2)直接支払制度の概要
EU離脱後の2021年から23年までの直接支払制度は、基礎的支払制度(BPS:Basic Payment Scheme)として実施され、農家の所有する土地の面積に応じて補助金が交付されてきた。対象となる農地は、永年草地、耕作地、永年作物地である。畜産物生産では、放牧地が永年草地、小麦や飼料用作物の生産は耕作地に該当する。
交付金単価は表7の通り20年から23年までほぼ据え置かれており、その額は条件不利地域(SDA:Severely Disadvantaged Area)以外は1ヘクタール当たり233.3ポンド(4万5424円)である。
また、若手農家(初めてBPSの申請をする時点で18歳以上40歳以下である農家など)または新規就農者(13年以降に農業を開始し、申請時点で18歳以上である農家など)に対するプレミアもあり、90ヘクタールを上限に、BPSにおける平均受給単価の17.5%が上乗せされる。
24年から27年までは、BPSに替わりデリンク支払い(Delinked payments)が導入される。BPSからの変更点は次の通りである。
・23年にBPSの受給資格があれば、24年以降の申請手続きなどは不要。
・交付金額は、21年から23年までのBPS交付額(若手農家へのプレミアを含む)の平均額。
すなわち、農家の申請業務などの事務負担が軽減される一方、新規の土地取得など従来の直接支払制度であれば増額要因となったものが考慮されなくなる。
直接支払制度を段階的に縮小・廃止するという政府方針に基づき、21年以降は表8の通り年ごとに定められた割合で交付額が累進方式で減額される。21年から24年までの減額率を見ると、年ごとに大きくなっており、24年は3万ポンド(584万1000円)までは交付額の50%、3万ポンドから5万ポンド(937万5000円)未満は55%、5万ポンドから15万ポンド(2920万5000円)未満は65%、15万ポンド以上は70%がそれぞれ削減される。
関係者の間では、27年が直接支払制度の最終年となることから、25年以降はさらに減額率は大きくなるとの見方が一般的である。この減額率は、前述した若手農家向けのプレミアにも適用される。実交付額の計算方法の例は以下の通りである。
【実交付額の計算方法例】
2023年のBPSにおいて4万ポンド(778万8000円)が交付額となった場合、3万ポンドには35%の減額が適用され(1万500ポンド(204万4350円)の減額)、次の1万ポンドには40%の減額が適用される(4000ポンド(77万8800円)の減額)。総額として1万4500ポンド(282万3150円)が減額され、実交付額は2万5500ポンド(496万4850円)となる。
(3)環境土地管理制度(ELMS)の概要
直接支払制度であるBPSが段階的に縮小・廃止されることに伴い、新たに環境土地管理制度(ELMS:Environmental Land Management scheme)が導入された。これは英国の25カ年環境計画(25 Year Environment Plan)と2050年までの排出量ネットゼロ公約の達成を目指しつつ、農村経済を支援することを意図した政策である。農家が環境保護の取り組みを行った場合に奨励金が交付されるもので、以下の三つの制度からなる。
・持続可能的農業奨励金制度
(SFI:Sustainable Farming Incentive)
・農村管理制度(CS:Country Stewardship)
・景観回復制度(LR:Landscape Recovery)
ここでは、ELMSの中心となるSFIおよびCSについて概説する。
ア SFI(持続可能な農業奨励金制度)の概要
SFIの対象となるのは耕作地(飼料用作物の作付地を含む)、永年作物地、永年牧草地および湿原など(moorland)であり、申請は任意となる。持続可能な農業生産のための取り組みメニューが用意され、取り組んだ場合に、メニューごとに設定された奨励金が交付される。
2021年末から試行的に実施され、23年からは、23のメニューが設定された。その内容と奨励金単価は表9の通りである。SFIに取り組む場合、表9に従う奨励金の交付のほか初年度は1ヘクタール当たり年間40ポンドが50ヘクタールを上限に追加で交付され、すなわち、最大2000ポンド(38万9400円)が交付される。2年目と3年目は同20ポンドに減額され、年間最大1000ポンド(19万4700円)が交付される。
DEFRAは、これらの取り組みは環境に好影響を与えるだけではなく、土地の生産性向上にも寄与するとしている。例として、(1)健全な土壌のための取り組みにより、土壌中の炭素固定や土中の生物多様性を維持しつつ、肥沃度の改善など生産性向上も図ることが可能(2)生垣のための取り組みにより、景観の維持・強化、昆虫や鳥類に対する営巣地や生息地の提供などといった持続可能な面での貢献だけではなく、家畜や農作物への防風の役割、総合的病害虫・雑草管理(IPM)といった生産性向上にも寄与するーなどを挙げている(写真1〜3)。
また、同一の土地で複数の取り組みを実施することも可能である。
24年からは制度が拡充され、同年8月現在では制度対象となるメニューの数が23から102に増加した(表10)。追加された内訳は、後述するCSに従来からあった57のメニューのほか、新たに精密農業、森林農業などに関する23のメニューである(表9中の「生産資材投入量の少ない草地」の2メニューは1つに統合された)。一方、「花粉および蜜源となる花の植栽」など10の取り組みについては、総面積の25%までとする上限が設けられた。政府は、SFIの運用や内容を検討しており、24年中に取り組みの追加や運用の変更などが予定されている。
SFIでは、家畜飼養者に対して、獣医師による健康・AWの状況確認に対しても補助が受けられる。具体的には、肉用牛および乳用牛は11頭以上、豚は51頭以上、羊は21頭以上を飼養している農家に対し、家畜の健康と福祉向上や生産性向上のためのアドバイス、ウイルス性下痢などの疾病の検査、その後のフォローアップなどである。また、これらは前述したSFIのメニューを実施していない場合でも対象となる。単価は表11の通りである。
イ CS(農村管理制度)の概要
CSは、環境を保護・改善するためにインセンティブを与えるものであり、SFIの実施前から行われている。対象となるのは、(1)生物多様性の向上(2)野生生物の生息地の改善(3)森林の拡大(4)水質改善(5)大気の質の改善(6)洪水防止―につながる取り組みである。
2024年8月末時点で265のメニューがあり、一部はSFIとほぼ同内容、同単価となっている。23年からは、物価上昇などを理由に平均10%ほど単価が引き上げられた。中には「種の豊富な草地管理」のように、23年から1ヘクタール当たり182ポンド(3万5435円)から同646ポンド(12万5776円)に単価が大幅に引き上げられたものもある。今後はSFIとの統合が検討されながら運用されていくことになっている。
(4)生産者の収益性への影響
ア DEFRAの見解
DEFRAによれば、2024年5月21日現在で英国農家の約4分の1に相当する2万2000件のSFIの申請が受理されている。また、DEFRA担当大臣は同年5月に開催された英国議会の中で、SFIに参加した農家は、平均で1ヘクタール当たり147ポンド、デリンク支払いから同115ポンドの計同262ポンド(5万1011円)を受け取っており、BPS下での同233ポンドを上回る金額を受け取ることができると述べている。
イ 畜産農家の収益性に対する影響
ここでは、農業政策の見直しによる畜産農家の収益性に対する影響について紹介する。2022/23年度(3月〜翌2月)の牛・羊などを低地(Lowland)で飼養する牧畜農家の平均経営収入は、4万3200ポンド(841万円)であった。内訳を見ると、家畜の生産・販売などの農業収入は8700ポンド(169万円)の赤字である。これを直接支払による収入1万3800ポンド(269万円)、CSなどの環境関連スキームによる収入6600ポンド(129万円)が補った形となっている。また、養豚経営では、農業収入5900ポンド(115万円)の黒字に対し、直接支払による収入は約3倍の1万6700ポンド(325万円)であった。このように、直接支払制度による一定の収入確保の役割は大きかったと言える(図9)。
AHDBは、150ヘクタールの面積で牛・羊を飼養する農家を例に、24年度以降、SFIに取り組んだ場合の農家の収入シミュレーションを行っており、その概要と結果を図10と表12に整理した。24年において、20年に交付のあった直接支払と同等程度の額を得るためにはCSで三つの取り組み(年間約6000ポンド(118万円)の収入)、SFIで九つの取り組み(年間約1万1000ポンド(217万円)の収入)が必要となった。シミュレーションでは、これら取り組みの中には生垣の管理など多くの農家がすでに実施し、新たにコストをかけなくても奨励金が得られるものもあるが、改良草地の一部管理外や冬鳥のための草地など、新たな投資による取り組みも含まれる。
25年度以降は直接支払いの減額がさらに進むことを考えると、収入の確保のためにも複数のSFIに取り組み、経営を安定させることが重要となる。AHDBは、SFIは数多くの取り組み内容を網羅しており、農家が自分の土地に適した取り組みを選択することを可能としていると評価している。一方で、農家が経済的な利益を得るためには取り組みの選択を検討し、計画性を持って実施することが必要になるとしている。また、生産性の低い草地がSFIの実施により生産性・収益性が高まる可能性もあるとし、いずれにしても今後は土地の有効活用が農業経営にとってより重要になるとしている。