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海外情報 豪州 畜産の情報 2025年5月号

豪州の農畜産物需給見通し 〜2025年豪州農業需給観測会議と温室効果ガス排出削減の取り組み〜

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調査情報部 田中 美宇、酪農乳業部 天野 明日香

【要約】

 豪州農業資源経済科学局は、「変化する世界の中で成長を促す行動」と題し、2025年豪州農業需給観測会議を首都のキャンベラにて開催した。この会議では、農畜産物の中期的な需給見通しのほか、豪州農業が直面する気候変動などのさまざまな課題や、競争力および持続可能な農業を目標とし、農畜産物の生産性を向上する取り組みを行う必要性が訴えられた。持続可能な農業の実現として、生産現場である酪農業界でも、GHG排出量削減に向けた取り組みの研究などが行われている。

1 はじめに

 豪州農業資源経済科学局(ABARES)は、2025年3月4日、5日の2日間にわたり豪州の農畜産業をめぐる情勢および30年までの展望を見通す「2025年豪州農業需給観測会議」(以下「アウトルック」という)を同国の首都キャンベラで開催した(写真1)。豪州国内の農業関係者や政府関係者を中心に400人を超える参加者が集まり、12のセッションを通して講演が行われた。
 



 
 今回のアウトルックでは、主要農畜産物の需給見通しのほか、気候変動、労働力、投資、世界的な農業貿易の動向、現代農業におけるデータ活用の重要性などの話題について講演が行われた。特に注目されたのは、豪州が50年までに温室効果ガス(GHG)排出量実質ゼロ(ネットゼロ)を目指す中で、どのようにして農業生産性と持続可能性を両立させるかの議論であった。結論として、持続可能な農業の実現には、収益性の確保が何よりも重要という考えが示された。また、アウトルックに参加した生産者などからは、生産者の実情に即した現実的なGHG排出量削減目標の設定や、炭素クレジットなどによる生産者へのインセンティブ付与に加え、コンプライアンス規制に伴う生産者の負担増加については、政府からの適切な支援が必要不可欠との声も上がった。さらには、農場データの収集技術やその質が向上しているため、より強固なGHG排出量測定の方法論確立の重要性についても触れられた。
 本稿では、アウトルックの中から畜産物の需給見通しなどに加え、ここ数年、同会議で話題の中心となるGHG排出量削減に向けた豪州国内現場での取り組みを報告する。
 なお、本稿中の年度は特に断りのない限り7月〜翌6月とする。また、為替相場は、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社「月末・月中平均の為替相場」2025年3月末TTS相場の1豪ドル=95.97円を使用した。


2 基調講演

 アウトルック開催に当たり、豪州連邦政府のコリンズ農林水産大臣から、同国の農業が直面する課題となる(@)バイオセキュリティの強化(A)農業労働者の増強(B)新たな貿易機会の開拓(C)農場の持続可能性の向上―の4点が示され、特に一定の成果が得られた事項を中心に基調講演が行われた(写真2)。この基調講演に対して今回のアウトルック参加者からは、2025年5月実施予定の連邦議会総選挙を控えて、より踏み込んだ発言とはならなかったとの見方も出ていた。
 


 
 同大臣からは、24年の豪州の農畜産物(水産や林業も含む)総輸出額が、総額で約697億豪ドル(6兆6891億円)に上り、その中でも牛肉(約141億豪ドル、1兆3532億円)と羊肉(約52億豪ドル、4990億円)が過去最高水準を記録したことについて、生産者、政府、貿易関係者などを含む農畜産物業界のサプライチェーン全体の努力の結果であることが強調された。基調講演の概要は以下の通りである。
 
(1)新たな貿易機会の開拓
英国、インド、東南アジア、アラブ首長国連邦といった農畜産物需要が増大している市場に対し、経済連携協定の推進と新規市場の開拓を行った。この結果、豪州は国内で生産される農畜産物の約7割を169カ国以上に輸出する、史上類を見ない市場の多角化を達成した。
(2)バイオセキュリティの強化
バイオセキュリティの不備は最大920億豪ドル(8兆8292億円)規模の損失につながることから、引き続き、連邦政府を中心にバイオセキュリティシステムを維持・強化する。
(3)食料安全保障の確保
食料安全保障を確保するため、国家食料安全保障戦略である「フィーディング・オーストラリア」の策定を計画している。これは、豪州の農業および食料供給システムの安全性と回復力の強化を目的としており、生産者が安心して生産を継続できる環境整備のための取り組みとなる。連邦政府は、この戦略を策定するため農家や地域社会と協力し、350万豪ドル(3億3590万円)の拠出を予定している。
 
 中国と米国間の貿易関係が不透明感を増す中で、このように、豪州の農畜産物が世界から選ばれ続け、確実に成長していくためには、連邦政府として生産者や食肉処理・加工業者への支援を引き続き行うとの強い意志が示されたことが印象的であった。
 次章以降は、ABARESによる見通しのうち、日本の畜産物需給にも密接に関係する牛肉および乳製品について報告するとともに、毎年のアウトルックで話題に上がるGHG排出量削減に関連する現地調査の結果についてを紹介する。
 なお、畜産物のうち、豚肉と鶏肉については豪州国内向けが中心となり、日本を含む国際需給への影響は少ないとみられることから割愛する。

3 畜産の現状と25年以降の見通し

 今回公表されたABARESの中期見通しでは、世界的な貿易政策の転換と地理的・経済的分断に起因するサプライチェーンの混乱拡大により、世界経済の成長率が2030年度まで2.8%と低水準での推移することを想定している。また、中期見通しの前提として、25/26年度および29/30年度は安定した気候、26/27年度および27/28年度は湿潤気候、28/29年度は乾燥気候がもたらされるとのシナリオに基づき予測している。
 

(1)肉用牛・牛肉

ア 25/26年度の牛飼養頭数はわずかに減少
 豪州では、放牧主体であることから、干ばつなどの発生による飼養環境の悪化や飼料確保のためのコスト上昇が見込まれると繁殖雌牛の淘汰とうたが進むなど、牛飼養頭数は気象条件に大きく左右される。近年の飼養頭数の推移を見ると、2019/20年度(20年6月末時点)は、主要畜産生産地域の豪州東部で20年に一度とされる深刻な干ばつが発生し、過去30年間で最低の2534万頭(前年度比4.9%減)にまで落ち込んだ(図1)。その後は3年連続でラニーニャ現象が発生し、降雨に恵まれたことで牛群再構築が進展し、22/23年度は2782万頭(同4.6%増)にまで拡大した。翌23/24年度は、乾燥気候をもたらすエルニーニョ現象が発生し、牛群淘汰が進んだことなどを受けて2748万頭(同1.2%減)とわずかに減少した。
 24/25〜25/26年度は、米国の牛群再構築の進展による米国産牛肉供給量の減少見通しを受け、豪州産牛肉需要の増加による輸出価格上昇などが見込まれている。このため、と畜が進むことで、24/25年度の牛飼養頭数は2680万頭(同2.5%減)、25/26年度は2621万頭(同2.2%減)といずれも減少が予想されている。
 


 
イ 25/26年度のと畜頭数は減少も、牛肉生産量は高水準を維持
 2023/24年度は、エルニーニョ現象の発生による牛群淘汰を受け、と畜頭数は808万頭(前年比22.5%増)、牛肉生産量は240万トン(同19.0%増)といずれも大幅に増加した(図2)。翌24/25年度は、米国産牛肉が席巻してきたアジア市場向けの輸出増に加え、米国向け輸出の増加が期待される中で、肉用牛供給頭数の増加と労働力の確保に伴う食肉処理施設の処理能力回復から、と畜頭数は915万頭(同13.2%増)、牛肉生産量は過去最高の269万トン(同12.4%増)といずれもかなり大きな増加が見込まれている。
 25/26年度は、牛飼養頭数の減少により、と畜頭数は826万頭(同9.7%減)、牛肉生産量は249万トン(同7.7%減)といずれも減少するものの、牛肉生産量は過去3番目の高水準を維持すると見込まれている。
 


 
ウ 25/26年度の肉用牛生体取引価格は上昇
 2024/25年度の肉用牛生体取引価格は、堅調な輸出価格が食肉加工業者の需要をけん引して家畜市場の取引価格を押し上げたことで、1キログラム当たり619豪セント(594円、同32.8%高)と過去10年平均の同544豪セント(522円)をかなり大きく上回ると見込まれている(図3)。
 25/26年度も堅調に推移し、同価格は同674豪セント(647円、同9.0%高)と見込まれている。その後の27/28年度までは湿潤気候による良好な放牧環境を背景に牛群保留は高まるが、28/29年度は乾燥気候による出荷増から同価格を押し下げ、29/30年度は同695豪セント(667円、同4.2%安)と見込まれている。ただし、過去10年平均と比べれば、引き続き高い水準を維持している。
 



 
エ 25/26年度の牛肉輸出量は減少
 2024/25年度の牛肉輸出量は、米国の旺盛な需要などにけん引された牛肉生産量の増加から、147万5688トン(前年度比14.6%増)とかなり大きく増加することが見込まれている(図4)。
 25/26年度以降の牛肉輸出量は、牛飼養頭数の予測に従い27/28年度まで減少し、その後は29/30年度に向けて増加すると見込まれている。
 ABARESは、主要牛肉輸出先である米国の牛群再構築は天候次第ではあるが、25年初期に米国中部での牧草の入手が改善されると、完了までに約5年の期間を要すると予測している。この間、米国の牛肉生産量は減少し、米国国内向けのほか、米国産牛肉の主要輸出先である日本や韓国向けなども減少するため、中期的には豪州の牛肉産業に輸出機会をもたらし、輸出価格を下支えすると予測している。
 


 
オ 25/26年度の生体牛輸出頭数は引き続き増加
 2024/25年度の生体牛(と畜場直行牛および肥育用もと牛)輸出頭数は、主要輸出先であるインドネシアの旺盛な需要から、76万頭(前年度比24.0%増)と大幅な増加が見込まれている(図5)。
 25/26年度以降も、インドネシア向けを中心に引き続き輸出需要は高いが、牛飼養頭数の予測に従い27/28年度まで減少し、その後は29/30年度に向けて増加すると見込まれている。
 


 

(2)酪農・乳製品

ア 25/26年度の乳用経産牛頭数および生乳生産量はともに減少
 2024/25年度乳用経産牛飼養頭数は、肉用牛取引価格の上昇が酪農家による乳牛の淘汰を後押しし、酪農家戸数の減少などとも相まって131万頭(前年度比1.2%減)に減少すると見込まれている(図6)。また、生乳生産量は、834万キロリットル(同0.4%減)とわずかに減少すると見込まれている(図7)。
 25/26年度以降の生乳生産量には大きな変動はなく、825万キロリットル前後での推移が見込まれている。
 





 
 
イ 25/26年度の乳製品輸出量は減少
 2024/25年度の乳製品輸出量は、主要4品目のうちチーズと脱脂粉乳は主に東南アジアの需要増を受けて増加が見込まれている(図8)。
 25/26年度以降については、主要輸出先である中国向けが、同国内の生乳生産量増加による乳製品需給の緩和などから、減少傾向で推移すると見込まれていることなどにより、輸出量全体についても減少傾向で推移すると見込まれている。
 



 
ウ 25/26年度の乳製品国際価格は下落
 豪州の生産者乳価にも影響する乳製品国際価格は、世界の需給状況を反映して大きな変動を繰り返している。2025/26年度は、米国と欧州の生産回復から世界的な供給量が増加することや、中国国内の生乳生産量の増加による乳製品需給の緩和などにより、乳製品国際価格は下落と予測されている。中期的な世界の生乳生産量は、米国とニュージーランドの増加分が欧州の減少分を上回るため、増加が見込まれている。一方、GHG排出量の削減など厳しい環境対策が圧力となり、世界の乳用牛飼養頭数が着実に減少すると予測される中で、生乳生産量が大幅に増加する可能性は低いとみられている。乳製品国際価格に影響する需要に関しては、引き続き東南アジアを中心とした増加が見込まれている(図9)。
 

 
エ 25/26年度以降の生産者乳価は横ばい
 2024/25年度の生産者乳価は、高水準にあった前年度と比較してかなり大きく下落するものの、上昇傾向にある世界的な乳製品価格を背景に、1リットル当たり65.5豪セント(63円、前年比12.0%安)と見込まれており、過去10年平均を上回る水準にある(図10)。25/26年度以降は国内の生乳生産量がほぼ横ばいで推移することから、高水準を維持すると見込まれている。


4 GHG排出量の削減に向けた取り組み

 今回のアウトルックでは、持続可能な農業の実現には農業生産性の向上や維持の重要性が示されていた。それらを行う上で、GHG排出量の削減は豪州農業界にとって優先課題の一つとされている。今回、酪農が盛んなビクトリア(VIC)州での取り組みを把握すべく、酪農団体と同州の生産現場を訪問した。
 

(1)デーリー・オーストラリア(DA:Dairy Australia)

 DAは、酪農家の経営と成長の支援から、酪農関連業界との関わりや研究開発まで、幅広い分野にわたってサービスを提供している。これは主に、生乳生産量に基づいて農家が支払う酪農サービス税(注1)によってDAの経費が賄われていることによる。また、連邦政府の農林水産省が国内の農村部に対して研究開発資金を提供するための資金提供機関としても機能している。
 DAによると、同国の総GHG排出量に占める酪農部門の割合は2%未満とされる。2023年の豪州酪農部門のGHG排出量のうち、腸内メタン(58%)が過半を占めている(図11)。
 


 
 このためDAの方針として、まずは、酪農現場での取り組みとして容易な腸内メタン以外の項目の削減を目指している。酪農家自身もエネルギー効率を上げようという意欲は非常に高いとされ、豪州は日照に恵まれていることから、農場内に設置したソーラーパネルなどで生産した再生可能エネルギーの利用が増えている。また、乳業メーカーなどは、工場内の廃棄物から生産されるバイオメタンガスなどに注目している。
 DAには、酪農家と協力しながら、GHG排出量をどのように把握するか、また、GHG排出量を削減しながら酪農家の利益をどのように上げるかについて検討するための技術研究、戦略や研修ワークショップなどを酪農家向けに提供する役割が期待されている。その取り組み成果の一つに、豪州独自の酪農炭素排出量計算ツールがある。この計算ツールの開発は、連邦政府と国際酪農連盟(IDF)の要件をすべて満たし、さらに、地球規模のGHG排出量計算を行う国際的な政府間パネル(気候変動に関する政府間パネル(IPCC))とも整合性を保つよう設計されている。この計算ツールは、DAのホームページを通じて誰でも無料で利用できる(写真3)。
 

 
 今後の取り組みとしてDAは、(@)酪農家だけではなく、サプライチェーン全体(酪農家、乳業メーカー、輸送会社、食品小売など)としてGHG排出量を削減すること(A)全員が同じ炭素排出量計算ツールを使用し、比較可能な一貫した数値データを得ること―に力を入れている。
 酪農家は主に利益と成功を収める事業運営に重点を置いているからこそ、DAはどのような支援やインセンティブを提供できるかを考えていく必要があるとしている。さらに、GHG排出量の削減に関し、すでに優れた結果を出している酪農家と協力することで、他の酪農家に好影響を与えることができるとしている。
 
(注1)『畜産の情報』2024年3月号「豪州の畜産農家における経営収支実態と所得向上の取り組み」(https://www.alic.go.jp/joho-c/joho05_003137.html)6をご参照ください。
 

(2)研究を進める酪農場

 生産現場の取り組みとして、VIC州政府が関与し、豪州を代表する酪農研究・技術革新施設の酪農場であるエリンバンク・スマートファーム(Ellinbank SmartFarm)(以下「エリンバンク」とする)を訪問した。同農場は、VIC州の酪農生産地帯の一つである東南部のギプスランドに位置し、230ヘクタールの敷地面積で約450頭を放牧している(写真4)。年間の生乳生産量は1頭当たり約7200リットル(全国平均約6500リットル)と国内平均を上回る。同農場では、(@)乳牛の生産性、(A)気候変動、(B)社会課題―の三つに重点を置いた研究を行っている。また、運営に関しては、生乳の販売代金に加え、共同研究を目的に、VIC州政府や酪農・乳製品団体(DAなど)、国内の関係業界や営利企業などから資金を得ている。
 
 エリンバンクでは、世界初のGHG排出量ゼロ(ネットゼロ)の酪農場を目標に掲げ、これに向けた研究なども行っている。ネットゼロを目指す上で、同農場が目標策定年(基準年)とした2019年に測定した年間GHG排出量は2700トンであった。そのうち腸内メタン(61%)、廃棄物(19%)、エネルギー(14%)で全体の9割強を占めていた。このため、現在の主な研究は、一番大きな割合を占める腸内メタンの抑制方法である。特に、メタンの抑制効果があるアスパラゴプシスや3-ニトロオキシプロパノール(注2)などの飼料添加物の研究に力を入れており、これらの研究過程で、飼料中の脂質を1%増やすごとに約3.5%のメタンを減らすことができることが判明している。しかし、過度の脂質は消化器官の微生物環境や食物繊維の消化に影響を及ぼすため、飼料中の脂質は6%を上限とし、これによりGHG排出量を約2割削減できるとしている。そのほかにも、ゲノム解析を通してメタン排出量が少ない乳牛を選別し、繁殖を行うことでゲノム構造の違いを研究している。
 ただし、これらの研究はすぐにGHG排出量の課題の解決策になるものではないため、まずは、再生可能エネルギーに着目し、ソーラーパネル(100キロワット)を導入して、エネルギーコストとGHG排出量の削減につなげている(写真5)。しかし、VIC州の政策によって100キロワットを超えるものは発電所とみなされ税金が高くなるため、これ以上のエネルギー生成は農場運営のコスト面で難しいとのことである。省エネルギーやメタンガス排出量低減に向けて農場環境を変えていくとコストは増加するが、そのコスト上昇分を価格転嫁することに対して、まだまだ豪州の消費者の理解が追いついておらず難しいと考えられている。エリンバンクによると、消費者価格に上乗せしたとしても、その分が直接、酪農家に支払われるわけではなく、生産者と消費者の間にいる乳業メーカーなどの利益になってしまうとのことである。そのため、価格転嫁ではなく、まずはサプライチェーン全体で吸収していくことが重要であり、いずれ消費者にもその一端を担ってもらう必要があるとの考えであった。また、たとえメタンの削減方法が見つかったとしても、コスト面だけではなく、生乳生産量への影響、農場運営、他の研究結果への影響を考えると、すぐにGHG削減のための行動を取れるわけではないとしている。
 
(注2)『畜産の情報』2023年3月号「豪州およびニュージーランドの畜産業界における持続可能性 〜気候変動対策を中心に〜」(https://www.alic.go.jp/joho-c/joho05_002629.html)4(1)をご参照ください。
 

 

(3)豪州の標準的な酪農家

 前述の通り、豪州ではGHG排出量の削減に向けた研究が推し進められているが、GHG排出量の削減に関して標準的な取り組みを行っているVIC州の酪農家を訪問し、対応状況について調査した。
 訪問した酪農家のローレンス氏は、同州ギプスランドの酪農理事会の副会長も務めている。同氏の農場は、300ヘクタールの広さで約350頭の乳牛を飼養しており、平均供用年数は6年で毎年20〜25%の乳牛を更新している。搾乳は朝と夕方の2回行い、1回当たり3時間を要するという。乳牛は、生乳生産量、生産性および牛の体格の三つのバランスを重視して飼養している。
 同氏は、「持続可能な生産を続けていくためには、土地と水という資源を効率的に利用して生産性を高めることだ」と述べ、GHG排出量の削減を中心とする持続可能な農業とは違った解釈を持っていた。また、「GHG排出量削減の取り組みが生産性の向上につながるのであれば行う」とし、現状の取り組みとしては、(@)繊維量を減らした良質な穀物や牧草を与えること(A)植林により日陰をつくること―に留まっている(写真6)。そのほか、電気柵用にソーラーパネルを導入しているが、労働生産性の向上を図る以外の目的での技術導入は考えていないという。

コラム 牛のバーチャルフェンス

 エリンバンクで行っている研究の一つに、牛のバーチャルフェンスがある。このバーチャルフェンスは、牛に装着した首輪に衛星利用測位システム(GPS)や各種センサーを組み込み、牛の誘導や健康状態の把握を遠隔で行えるシステムである。エリンバンクでは、現在197頭の乳牛に首輪が装着されている。本来、VIC州では、動物虐待防止法により牛の首輪は禁止されているが、同農場では研究目的として動物倫理委員会の承認を得て首輪を装着している。バーチャルフェンスは、首輪から発生する振動・音・電流により牛を誘導することで、実際の柵の設置を不要とし、酪農家はアプリを通して遠隔での牛の放牧が可能となる。必要に応じてフェンス(放牧区域)を移動することができ、牛にとって最適な牧草を与えることができると同時に、振動によって牛を搾乳施設に誘導することもできることから、労働力の低減にもつながる。バーチャルフェンスの仕組みとしては、牛がバーチャルフェンスの5フィート(約1.5メートル)以内に接近した場合、GPSで感知し、首輪が振動すると同時に、低いビート音が発せられる。振動と音により、牛がバーチャルフェンスから離れると振動と音は止まるが、それでも牛が接近を続けた場合、0.18ジュールの電流が流れる(アニマルウェルフェアの観点から電流を0.18ジュール超にはできず、農家が変更できないよう設定されている)。電流を流してもなお、牛が接近を続けた場合、システムが停止し、牛が落ち着くのを待って、人が牛を安全な場所に誘導をする。また、牛がバーチャルフェンスに慣れるには、それほどの時間を要しないとしている。
 首輪には各種センサーも組み込まれており、さまざまな情報を収集することが可能となっている。牛の頭の動きを感知することで、牧草を反芻はんすうしているのか、立っているのか、動いているのかを把握することができる。また、体温も検知することができるため、これらの情報を基に酪農家は、遠隔地であっても牛の健康状態や発情期を把握することが可能となる。さらに、首輪にはソーラーパネルが設置されており、電力の供給も自動で行われる。現在、豪州でこのバーチャルフェンスの使用が認められているのは、一部の州(コラム注)のみである。VIC州やニューサウスウェールズ州では、バーチャルフェンスの一般使用に向けた動物虐待防止法改正の検討が進められており、労働力の大幅な低減による生産性の向上が期待されている。
 このように、労力の低減のほか、地形の複雑さに関係なくバーチャルフェンスを設置し、放牧できる利点があることから、日本での活用も期待される。
 
(コラム注)海外情報「NSW州で、バーチャルフェンス導入に向けた議論を開始(豪州)」(https://www.alic.go.jp/chosa-c/joho01_003895.html)をご参照ください。


5 おわりに

 2024年は、豪州の農畜産物の総輸出額が過去最高水準となった。一方、アウトルックでは、バイオセキュリティや食料安全保障といった問題も議論に挙がり、気候変動やGHG排出量の削減などの問題解決と生産性の向上をいかに両立するかが焦点となっていた。
 こうした中、酪農団体であるDAでは、技術開発や酪農品炭素排出量計算ツールを活用した研修やワークショップなどを通して、農家とともにGHG排出量削減に向けた取り組みを進めていた。気候などの要件を見直すことで、同ツールを日本でも活用できる可能性があるのではと感じた。
 また、DAは、今後サプライチェーン全体を巻き込み、農家へのインセンティブの付与などの取り組みを進めることで農家の負担を軽減し、少しでも農家の収益につながる体制の構築を目指していた。
 研究農場であるエリンバンクでは、「世界初のネットゼロの酪農場」という目標に向けて実践的な試験研究が進められていた。一定の成果が得られている研究がある一方、仮に有効なメタンの削減方法が確立された場合、実際の導入に当たって、その方法が生産コストや生乳生産量など酪農経営に及ぼす影響とのバランスなどの問題もあり、生産性や収益性の向上との両立という点では、もう少し時間が必要とみられている。
 一方で、豪州の標準的な酪農家では、GHG排出量の削減にはやや消極的であるように思えたが、持続可能な生産に重要なことは生産性の向上と資源の有効活用であり、これらが達成できる取り組みに興味を示していた。これは、酪農家側が重要視している点の一つに「自身の経営にプラスとなる部分があるか」があることを示しており、GHG排出量削減の取り組みを普及する際の課題として、今後も議論が続くポイントと考えられる。
 最後に、世界的に見てもこれらの取り組みや議論はまだまだ発展途上である。政府が主体となって議論を進め、それを末端の生産者まで届けることは簡単なことではなく、生産者が取り組みを実践するまでには多大なコストと労力、さらには時間を要する。世界的にも主要な立場にある豪州が地道にGHG排出量削減の議論を続けていくことは、日本を含む諸外国にとっても非常に価値があることから、今後もその動向を注視していきたい。
 
謝辞
 本記事の執筆に当たり、Elinbank SmartFarm、Ken Lawarence’s dairy farm、Dairy Australiaの皆さま方に快く調査に応じていただいた。ここに深く感謝の意を申し上げる。