(1)宮古島市の概要
宮古島市は沖縄本島から飛行機で約50分の距離にあり、総面積204平方キロメートル、人口約5万5000人の島である(図3)。六つの島々(宮古島、池間島、大神島、伊良部島、下地島、来間島)から成り、その中でも宮古島が最も大きく、宮古島市の総面積の約78%を占めている。温暖な気候と平坦な台地から成る農地を有し、基幹作物であるサトウキビのほか、肉用牛、葉タバコ、マンゴーなどの果樹栽培、野菜ではゴーヤー、カボチャ、トウガンなどの栽培が盛んである。
宮古島市の令和5年の農業産出額は143億9000万円で、うち約20%(28億8000万円)は肉用牛が占めており、サトウキビに次ぐ重要な産業である。宮古家畜市場では年間約4400頭の肉用子牛が取引されており、そのうち約85%が県外の肥育農家の手に渡り、各地域のブランド牛のもと牛となる。
(2)株式会社ほろよい牛ファーム宮古島での経産牛肥育の取り組み
新規就農で黒毛和種の繁殖経営をしている株式会社ほろよい牛ファーム宮古島(以下「ほろよい牛ファーム宮古島」という)の中西卓哉、由加里ご夫妻に、経営の概要や経産牛肥育の取り組みについて話を伺った。
ア 新規就農の経緯
平成11年に京都府から宮古島市に移り住んだ中西ご夫妻。卓哉氏は地場産業に従事していたが、前職の離職を契機に、当時一番興味があった畜産業を開始した。就農当初は、市内の繁殖経営農家の元で畜産業のノウハウを学び、研修を経て、25年に独立。独立後は卓哉氏1人で飼養管理を行っていたが、事故により入院生活を余儀なくされたため、由加里氏が入院期間中の飼養管理を担うこととなった。由加里氏はこの出来事がきっかけとなり、家畜人工授精師(注1)と家畜商(注2)の資格を取得。卓哉氏の退院後も変わらず由加里氏が中心となって飼養管理を行うとともに、現在は法人の代表も務めている。
(注1)牛、豚などの家畜に人工授精を行うために必要な国家資格。各都道府県の家畜保健衛生所で実施される家畜人工授精師講習会を受講して修了後、免許を申請することで取得できる。
(注2)家畜商は、牛、豚などの家畜を家畜市場で売買、交換、斡旋する者のことを言う。家畜商として取引をするためには家畜商免許が必要であり、各都道府県の家畜商講習会を受講して修了後、免許を申請することで取得できる。
イ 経営の概要
畜舎は、繁殖用雌牛および子牛用牛舎3棟、経産牛・肥育牛舎1棟を所有している。元々、沖縄県農業協同組合が使用していた牛舎やトラクター用倉庫を活用している。
労働力は卓哉氏と由加里氏が主で、息子の颯汰氏も通信制の高校に通いながら飼養管理に従事し、両親の経営を支えている。颯汰氏がいることで、卓哉氏が自社ブランド牛(経産牛)のPRのために、県外のイベントなどに参加できるようになり、とても助かっているという。
飼養頭数は令和7年6月(取材時)時点で、繁殖用雌牛12頭、子牛12頭、肥育中の経産牛9頭、肥育牛1頭である。繁殖用雌牛と肥育中の経産牛は自家生産の他、外部導入した個体も飼養している。
子牛は平均8カ月齢で宮古家畜市場に出荷しており、基本的に全頭県外の購買者に引き取られている。特に九州の購買者が多く、来島時には定期的に食事会を開くなど、情報交換の場も大切にしているという。昨今の子牛市場では、見た目よりも系統を重視する購買者が多く、繁殖用雌牛への種付けには、肉質、増体のバランスが良い系統を選んでいるという。種付け作業は、家畜人工授精師の資格を持つ由加里氏が行っている。また、生産した子牛のうち、体型が良い雌牛は繁殖用雌牛として自家保留している。
経産牛は、宮古地区(伊良部島、多良間島を含む。)から導入している。近年は、高齢化や子牛価格の低迷から離農する繁殖経営も多く、牛を買い受けてほしい、譲り受けてほしいと相談されて引き取ることもあるという。
法人化は令和6年に行った。泡盛粕を活用した経産牛肥育のブランドを確立し、経営が軌道に乗ってきたことから、販路の拡大など、さらなる経産牛肥育部門の強化を図るために法人化に至ったという。
ウ 経産牛肥育に取り組んだ経緯
前述の通り、宮古島市の繁殖経営が生産した子牛の大半は宮古家畜市場に出荷され、県外の肥育農家の手に渡るが、卓哉氏は自分が生産した子牛が成長し、最終的に食卓に並ぶまでを見届けたいという思いがあったという。加えて、子牛相場の下落を考慮すると、収入が子牛の市場出荷だけでは経営上のリスクが大きく、リスク分散や保険として新たな収入源を確保する必要があると考えた。一貫経営は肥育期間が長期にわたるため、収入を得られるまでに時間を要する。そこで考え付いたのが経産牛肥育だったという。経産牛の再肥育であれば、導入から販売までのサイクルが約6カ月と短く、繁殖経営をしながら、短期間で収入を得られるというメリットがある。こうして卓哉氏の希望と経営の安定のため、令和3年に経産牛肥育事業の立ち上げを決意した。
エ 宮古島産泡盛 ほろよい牛の誕生
経産牛肥育事業を開始した当初は、経産牛の再肥育の認知度が低い上に、前述の通り、臭みが強い、肉が固いというイメージから、簡単には軌道に乗らなかったという。何か価値を付加して、宮古島市ならではの経産牛肥育ができないかと模索し、同市の特産品に利用することを思い付いた。その後、琉球大学や国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構九州沖縄農業研究センターに協力を仰ぎ、肉質を研究しながら雪塩や黒糖などさまざまなものを飼料として試したが、安定供給が難しい、採算が合わないといった問題があり、なかなか思うようなものに出会えなかったという。そのような中、昔の宮古島の肉用牛生産者が牛に泡盛粕を給与していたという話を耳にし、試験的に泡盛粕の成分分析を行った結果、粗たんぱく質と粗脂肪が豊富であることが分かった。卓哉氏は、この泡盛粕を給与した経産牛をブランド化するため、「宮古島産泡盛 ほろよい牛」と名付け、令和4年5月、記念すべき第1号のほろよい牛の精肉販売を開始した(写真2)。
オ 泡盛粕の給与について
泡盛粕は、島内の菊之露酒造株式会社から提供を受けており、同社は毎日泡盛を製造していることから安定供給が可能となっている。また、泡盛粕は副産物としての活用が難しく、その多くは産業廃棄物として処理されるものであったため、安価かつ安定的に提供してもらえることも決め手の一つだった。酒造会社としても廃棄処理に係る費用を抑えられ、互恵関係が築けたという。
泡盛粕は、夏場には2日ほどしか保存できないため、卓哉氏自身が毎日酒造会社に足を運んで引き取っている。引き取り直後の泡盛粕は約100度と高温であるため、常温で1日冷ます必要があり、翌日に給与する(写真3)。粕と聞くと固形物を想像するが、泡盛粕は液状である。経産牛導入直後は飲水に泡盛粕を少量混ぜて給与し、徐々に割合を増やして慣らしていく。嗜好性が高く、最終的には原液を飲用するが、粗脂肪が豊富なため、過剰給与にならないように注意しているという。なお、泡盛粕にアルコール成分はほとんど入っておらず、実際に牛がほろ酔いになることはない。
ほろよい牛の再肥育期間は約6カ月だが、1頭1頭状態を見極めて、早めに仕上がれば早期に出荷している。売れ行きが好調で商品の供給が追い付いていないため、できるだけ早い出荷サイクルを確保したいと考えている。また、ほろよい牛の販路が確保できるようになって(後述)以降、経産牛肥育をやってみたいという生産者が増え、他島から視察に来ることもあるという。経産牛肥育は、一般的な肥育と異なり、繁殖用雌牛を用いることから、すでにルーメンマット(注3)が完成しており、必要な飼料を適切に給与していれば、ある程度きちんと仕上がるという。しかしながら、導入する繁殖雌牛は血統や出産回数もさまざまで個体差が大きいことから、飼料の給与時期や給与量、出荷時期などの見極めが重要である。そこで、ほろよい牛生産に挑戦したいという生産者が参入しやすいよう、飼料の指定と給与量、泡盛粕の給与量とタイミングなどを示した「ほろよい牛飼育マニュアル」を作成した。マニュアルの詳細は企業秘密だが、連携してくれる農家が増え、ほろよい牛をますます盛り上げていけたらと思っているとのことである。
(注3)ルーメンは牛の四つある胃のうち第1胃を指す。ルーメン内では摂取された飼料が階層構造を作っており、中央の層の大きな飼料片の固まりをルーメンマットと呼ぶ。ルーメンには微生物が生息しており、牛が食べた草などを分解するという役割を担う。十分な厚さのルーメンマットが形成されると、牛が食べた草などがルーメンにとどまる時間が長くなり、消化吸収されやすい。また、ルーメンマットには反すうを促す作用もある。
カ ほろよい牛の精肉、加工、販売について
卓哉氏は、と畜後、部分肉まで加工したほろよい牛を自社で買い取り、精肉への加工処理および島内飲食店などへの販売も手掛けている。
ほろよい牛の出荷頭数は年間約24頭で、1頭当たりの枝肉重量は平均370キログラムである。と畜は月2〜3頭で、株式会社宮古食肉センターで行っている。と畜後、大分割および内臓処理も同センターで行い、その後の加工は自社で行っている。加工の技術は、卓哉氏が同センターで働いていた頃の知り合いから学んだ。ほろよい牛の飼養を開始した翌年には精肉販売を開始したが、売り先の確保に苦労したという。繁殖経営は、生産した子牛の売り先が子牛市場などに限られている反面、自分で売り先を見つける必要がない。一方、経産牛肥育は、精肉など商品の売り先を自分で開拓しなければならない。ほろよい牛は、きめ細かなサシが入った上位等級にこだわるのではなく、経産牛肥育でしか出せない深みのある赤身肉をセールスポイントにしていることから、その特徴をしっかり理解して取り扱ってくれる取引先を見つけなければならないという。卓哉氏は島内のホテルや飲食店などに自ら売り込みに行き、地道に販路を拡大していった。現在は島内のホテルや飲食店を中心に約50者と取引があり、焼肉用のカットやハンバーグ用のミンチ処理など、取引先の要望に応じて加工している。また、配達は必ず自ら行い、取引先の感想や要望を聞くように心がけている。ホテルのシェフから厳しい言葉をもらうこともあるが、生の声を聞くことで、すぐに飼養管理の改善につなげられることが自社販売のメリットだという。その他、レトルトカレーや牛汁、ブレザオラ(注4)などの加工品の製造を外部に委託し、それらの商品も島内空港やお土産店、電子商取引(EC)サイトで販売している。
(注4)北イタリアで作られている牛肉の赤身を用いた生ハム。
キ 今後の展望
牛は肉だけでなく、脂肪や骨、皮もすべてを余すことなくいただくことを目標に、卓哉氏は「命を余すことなくいただくプロジェクト」と題して関連企業と連携し、「廃棄から価値へ」をコンセプトとした取り組みを推進している。牛革製品の加工・販売や後産(胎盤)からプラセンタ(胎盤抽出物を主成分とする製剤や商品のこと)を製造する取り組みを試験的に始めた。観光客向けに革製品やエステ商品の開発、販売を目指しているという。
また、黒毛和種の経産牛肥育だけでなく、外部導入した未経産肥育牛の黒毛和種1頭を試験的に飼養しており、ほろよい牛のプレミアム規格として育て上げる予定だという。今後は褐毛和種の経産牛肥育にも挑戦し、いずれはあか牛のほろよい牛を販売できたらと考えている。