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さつまいもでん粉人列伝

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最終更新日:2010年6月3日

さつまいもでん粉人列伝 〜4.鈴木繁男とでん粉産業活性化〜

2010年6月

大阪府立大学大学院 元教授 樽本 勲

 
 

1.書斎を訪ねて

 平成20年11月「さつまいも文庫」の収集のために貝沼圭二氏とともに故鈴木繁男氏宅を訪れ、全蔵書に触れさせて頂きました。所蔵の分野は広く、氏の学問、研究、趣味の広さがうかがえました。
 
 そのうち単行本、公刊資料など計87点を「さつまいも文庫」に寄贈頂きました。専門は違うのですが、氏について更に勉強をしようとその時思ったことが、本項を書く切っ掛けです(以下は敬称を省略します)。

2.鈴木繁男の年譜など

 「明治百年記念―甘藷とでん粉百年の歩み― 1968 鈴木繁男・関藤之介編(さつまいも文庫16−97)」、「日本糖化工業史1983 鈴木繁男・田中列次編(さつまいも文庫4−21)」、「鈴木繁男先生を悼む2008 貝沼圭二」、「鈴木繁男別刷集(さつまいも文庫6−68)」などを参考にし、鈴木繁男と鈴木研究グループのでん粉研究の年譜を表1にまとめました。表の中央には昭和21〜58年の年号、その左列には、いも類政策や産業事情の経緯、年号右には鈴木の略歴、鈴木らの研究など、また最右列にはでん粉関連研究などを列記しました。
 
 略歴については、鈴木繁男は昭和16年に東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業直後、同大農産製造学研究室を経て昭和23年(1948)から昭和42年(1967)までの19年間、農林省食糧研究所食糧加工部藷類研究室長として研究をし、また後輩を指導しています。その後、改組した食品総合研究所所長就任、昭和54年に退職するまで一貫して食品総合研究所に奉職しています。
 
 
 

3.食糧統制と解除、価格安定法(昭和21−28年)

 昭和16年(1941)の4月に「国家総動員法に基づく生活必需物資統制」、同年8月に「いも類配給統制規則公布」、同年12月対米英戦が開始され、この食糧危機状態は終戦まで続いています。また、その後も同様な食糧危機状態は続き、昭和25年まで作付統制、収穫農作物の供出や配給などの食糧統制が続いています。
 
 しかし、昭和23年頃からは、この国家統制的な政策の変更が求められていたようです。昭和25年1月に「甘藷処理対策(特に加工を中心として)1950 食糧庁食糧研究所(さつまいも文庫1−323)」、同年9月に「いも類統制撤廃対策技術資料(甘藷)1950 農林省農業改良局研究部(さつまいも文庫1−324)」が出されています。
 
 前者では、表2の甘藷利用方策が示されています。でん粉、発酵原料に重点がおかれ、またでん粉の第一利用に甘味資源がおかれています。これに対して後者における「加工利用」の項(研究企画官・木原芳次郎)では、(1)切干いも、(2)藷粉、(3)でん粉、(4)〜(7)アルコール、焼酎、雑酒、合成酒の酒類、(8)〜(15)甘藷麺、サツマイモ原型焼、いも板などの食品類に分類され、またでん粉については(1)食料品加工用(食品、加工食品、菓子、添加物)、(2)医薬・化学薬品(オブラート、葡萄糖など)、(3)糊、(4)その他とされています。
 
 前者は近未来に視点をおき、後者は現状是認型の対策になっていると思われます。
 
 表2資料に作成担当者名は記されていませんが、担当室長として鈴木が携わったことは否めません。その緒言に甘藷の貯蔵期間の短さと黒班罹病いもを問題として特記しています。この内、貯蔵問題はただちに鈴木の主要研究テーマとされたようです。なぜ腐るかを解明し、貯蔵期間を長くするにはどうすればよいかの化学的な解明は、食糧としてのいもを考える場合に避けて通れなかった課題だったのでしょう。
 
 
 

4.甘藷(さつまいも)生産を支える技術の開発(昭和29−37年)

 いも類でん粉の需給は昭和30〜33年に一時的停滞期がありますが、おおむね昭和38年(1963)までは右肩上がりの増加傾向にありました。内容は甘味資源として水飴(昭23〜33)とぶどう糖(昭34〜38)の生産増加によるものです。昭和30〜33年の一時的停滞期には、表2の繊維用、水産練製品、製菓用仕向けでん粉の白度向上が急務との考えもありました。
 
 そしてこの問題解決が、鈴木の化学者としての第2番目のテーマとなり、昭和29年頃から 「でん粉の白度化」に関する研究がなされ、多くの論文が発表されています。またこの時期には、より品質のよい甘藷を生産するという観点から「甘藷の生長・肥大に関する生化学的研究」を田村太郎らと行っています。
 
 昭和34〜38年の甘藷でん粉からのぶどう糖生産増加は、甘藷でん粉の「酵素液化―酵素糖化法」の完成によるものでした。すなわち、甘藷でん粉の糊化温度がコーンスターチに比べて5〜10度低いことから、当時の細菌α―アミラーゼが安定的に反応して甘藷でん粉の「酵素液化」に成功し、さらには完全酵素法が完成したことによります(辻坂好夫、小巻利章)。この技術開発への鈴木研究室の貢献は、田村太郎を中心に連続酸糖化の研究が昭和33年から進行していたこと、また昭和35年発表の貝沼圭二らの「ブドウ糖の化学的異性化」研究によりぶどう糖の付加価値化を図ることができたことです。
 
 昭和33、4年頃の米の自給率復活を受け、研究方向へも影響が出てきていました。それは農産物の新規用途の開発への転換を迫られることでした。昭和36年に食糧研究所は食糧庁を離れ、農林省付属機関となっています。昭和35年の「ブドウ糖の化学的異性化」などは、これら一連の動きへの対応として注目されるものです。
 

5.甘藷離れと新規糖質産業の創生(昭和38年以降)

 「日本の農業46“でんぷん経済” 1966 農政調査委員会編(さつまいも文庫6−51)」にあるように昭和41年当時の認識は、「甘しょでん粉は供給過剰であり、すでに厄介者である。でん粉糖需要は砂糖不足という戦後の異常事態であった。」と断じられています。昭和38年の粗糖輸入自由化、輸入関税のかからない安価な原料であるとうもろこしによるコーンスターチの急増などから、鈴木研究室の精鋭らの技術開発も及ばないものとなっていたのです。
 
 また、鈴木繁男も管理職としての道を歩みはじめ、後進の指導や著作にその精力は移行しています。その結果、研究は甘藷などの農産物原料に立脚するのではなく、でん粉から何が作れるかの方向へと移行しています。貝沼圭二らによる「マルトヘキサオース生成酵素の発見、小林昭一らによる「サイクロデキストリン合成酵素の作業機序解明」、佐々木堯らの「エリスリトールの生成」など、「でん粉を素材」にしてより付加価値の高い糖質を開発しています。すなわち、鈴木研究室で育てられた研究員が相ついで画期的な「でん粉由来の新規糖質」を創生したのです。
 
 このように鈴木繁男は、ご自身の研究だけでなく、多くの有能な人材を育てた希有な人物であったと改めて敬服している次第です。享年78才(1920−1998)
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