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植物健康センサー(PHS)を用いた土壌検査システム

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最終更新日:2010年3月6日

植物健康センサー(PHS)を用いた土壌検査システム
〜ジャガイモシストセンチュウ汚染の防止のために〜

[2009年8月]

【調査・報告】

北海道大学大学院農学研究院 教授 増田  税
株式会社ラボ 杉山 俊平

はじめに

 近年、輸入野菜の残留農薬や無登録農薬の使用などが絶えず話題となり、食の安全、特に農薬に対する社会的な関心が非常に高まっている。これらのニュースには農薬全般を一方的に悪者としかねないインパクトがある。しかし、作物を病原体から守り、安定した収量を確保するためには、農薬の使用は不可欠である。実は農薬を使用しても食糧全体の三割程度が病害虫により失われており、農薬を使用しなければさらに三割が失われるという報告もある。無農薬では世界の人口を支える食糧を確保できない現実がある。残留農薬が環境に与える影響を科学的に検証し、生産性と環境保全の調和を図りながら農薬を利用していくことが求められている。
 減農薬を実現するために、天敵や微生物農薬の利用など様々な工夫が実用化されているが、それらはあくまでも個々の病原体をターゲットとした試みであって、体系的なものではなく、また、その効果も従来の化学農薬に取って代わるほどのものではなかった。減農薬への最も現実的なアプローチは、まずは、農薬の投入を必要最小量に抑えることである。しかし、実際の農業現場では、経験的な肥料の投与や予防的な殺虫剤の散布が一般化しており、これが環境への過剰な農薬の放出につながっている。もし土壌中の病原体や養分の情報を正確に把握できるようになれば、土壌への合理的な農薬の投入が可能となるだろう。本稿では、土壌環境を体系的にモニターする新しい土壌診断システムについて、ジャガイモシストセンチュウの診断を中心に紹介する。


植物健康センサー(PHS)による土壌検査

 植物の健全な生育を妨げる要因は様々で、栄養欠乏・乾燥・高日照強度・有害物質などの環境要因と、糸状菌・細菌・ウイルスなどの病原体感染による病害や、昆虫や線虫などによる食害や寄生による虫害などの生物的な要因があり、作物の収量や品質に多大な影響を及ぼしている。例えば、植物寄生性線虫による年間の被害総額は全世界で12兆円を超える。カドミウムやダイオキシン類などの有毒物質は土壌中に長期間残存し、作物に吸収された有毒物質は最終的に人体に影響する。これら全てを含む、国内の農業・環境分野における検査費用は年間200億円以上であると試算されている。
 我々は、土壌中の病原体や養分・有害物質などを体系的にモニターする新しいシステムの開発に取り組んでおり、このシステムを「植物健康センサー(Plant Health Sensor;PHS)」と名付けた(図1)。PHSによる土壌診断では、まず、検査土壌に「おとり植物」を植える。一週間後、その植物の「遺伝子の発現状態」を、特殊な遺伝子を載せた「DNAマクロアレイ」を使用してモニターする。得られた植物遺伝子の発現データに基づいて、土壌中に存在する病原体や養分などを診断する。


図1 PHS による土壌診断の流れ


 細胞の核の中に存在する「DNA」は、らせん状にからまりあった2本の鎖上に4種類の塩基「A、T、C、G」が並んだ構造をしている。DNAは、いわば、塩基という4つの文字で記された「生命の設計図」であり、その所々に「タンパク質の設計情報」を記述している部分、つまり「遺伝子」がある。タンパク質は実際の生命活動を担う分子で、例えば、生体を構築する構造タンパク質、生体内で種々の化学反応を触媒する酵素など、様々な機能を持つ形で存在する。遺伝子が働くことを「遺伝子の発現」という。遺伝子発現の過程では、まず、遺伝子の塩基配列がDNAによく似た物質「RNA」でコピーされる(転写)。そのコピーRNA(mRNA)は細胞内のタンパク質製造器官(リボソーム)に運ばれ、その情報に基づいてタンパク質が作られる(翻訳)。生体内では、いつ、どこで、どの遺伝子が発現するかは厳密に制御されており、常に発現している遺伝子もあれば、特定の条件下でのみ発現する遺伝子もある。一個体を形成する様々な細胞は同じDNAを持つにもかかわらず、その形態や機能が様々であるのは、細胞の種類によって遺伝子の発現量(対応するRNAやタンパク質の量)が異なるためである。生物が環境の変化や病原体の感染などのストレスを受けた場合には、ストレスの種類に応じて特定の遺伝子の発現に変化が起きる。
 植物は、動物と異なり、移動することができない。光合成でエネルギーを自給する能力を持つが、水や光、栄養の不足や、病原体の出現などにより環境が悪化しても、その場から逃げることができない。そのため、植物が生きるためには環境に対して特に鋭敏でなければならず、わずかな環境の変化をも感知する能力を発達させてきた。植物が環境の変化を感知すると、それに反応して、あるいは適応すべく、植物体内では遺伝子の発現に変化が起きる(図2)。逆に言えば、PHSを用いて植物遺伝子の発現状態を調べることで、植物がその環境に対して何を感じているのかを知ることができるのである。つまり、PHSとは、植物自身に土壌環境について語ってもらうことによって、土壌中の養分や病原体を診断するシステムなのである。例えば、PHSによって植物が窒素肥料は十分だと感じていることが分かれば、その畑にはそれ以上に余計な窒素肥料を与える必要はない。もし線虫がいると診断されれば、線虫の密度を考慮して農薬を投与するか、抵抗性植物を植えればよい。


図2 様々な病原体や環境変化に対する植物の反応


 DNAアレイ法は多数の遺伝子の発現RNA量を同時に測定することができる遺伝子発現解析法として開発された。DNAアレイとはガラス基盤やナイロン膜などの支持体に多種類のDNAを高密度に集積したツールであり、支持体とDNAの集積度の違いにより、マイクロアレイ(ガラス基盤、集積度高い)とマクロアレイ(ナイロン膜、集積度低い)に分類される。PHSで使用するDNAマクロアレイは、DNAマイクロアレイと比べて作製が容易で、使用するのに高価な機械や設備を必要としない。DNAマイクロアレイはDNAの集積度が高いためゲノムレベル(数万遺伝子)の発現解析に威力を発揮する強力なツールだが、数十〜数百程度の遺伝子について多くの検体を解析したい場合には低コストのDNAマクロアレイの方が有利となる。(株)ラボでは、これまでに、DNA(遺伝子)をナイロン膜に細密に貼り付けることができる機械によって、多くの遺伝子を一度に解析できるDNAマクロアレイ作製の特許技術を開発しており、この技術をPHSに利用することに成功した。


ジャガイモシストセンチュウ

 ジャガイモシストセンチュウは、ジャガイモやトマトに寄生する世界的に重要な農害虫である。植物防疫法により本センチュウの発生ほ場では汚染土壌の移動と種ばれいしょの生産が禁止されている。国内では、1972年に初めて北海道で発見されて以来、その発生地は徐々に拡大している。ジャガイモシストセンチュウの雌成虫は、秋に死んで体内に約400個の卵を内包したシスト(直径0.6ミリメートルの褐色の球形)となる。土壌中でシストの状態で越冬し、春、寄主作物が栽培されると、その根から分泌されるふ化促進物質に感応してふ化した幼虫が根に侵入し、植物から養分を吸収して成長する。シストは硬い殻で保護されており、寄主作物が栽培されなくても10年以上生存するため、いったん発生してしまうとその根絶は極めて困難である。根に寄生したジャガイモシストセンチュウは、根による養水分の吸収を妨げ、作物の生育を阻害する。本センチュウによる被害は、種イモ栽培に関する報告によれば、線虫の密度に応じて最大50%の減収をもたらし、高密度になれば1カ月以上も早く枯死するとされている。
 従来の検診法では、植え付け予定ほ場の「土壌検診」と栽培中の「植物検診」が実施されている。土壌検診では、まず土壌からシスト程度の大きさの粒子をふるいにかけて分離し、その中からシストを回収する。しかし、土壌中にはシストと似たような形状をした生物も多く存在し、ジャガイモシストセンチュウ以外のシストが混在することもあるため、顕微鏡による観察が不可欠である。たとえ顕微鏡で観察したとしても、形態による同定には専門知識と熟練した技術を要する。根で成長した雌成虫は白色の体部を根の外に現し、やがて自らの体内に産卵を開始し、次第に黄金色に変色していく。この時期(北海道では7月中下旬)になれば、肉眼でもほ場から抜き取ったばれいしょの根の表面に黄色の雌成虫を観察できるようになる。この植物診断は容易なセンチュウ検出法ではあるが、この方法で検出された時点で既にほ場全体にまん延していることが多いため、シストセンチュウの防除にとって重要な「早期発見」は難しい。


PHSによるジャガイモシストセンチュウ検診手法の構築

 我々は、まず、DNAマイクロアレイやSAGEといったゲノムレベルでの遺伝子発現解析技術を用いて、ジャガイモシストセンチュウを接種したトマトの根における遺伝子発現を解析し、その解析データからジャガイモシストセンチュウの感染により発現が変化した遺伝子を選び出した。これらの遺伝子をさらに精査することによりPHSに利用する遺伝子群を決定し、これら遺伝子を搭載したDNAマクロアレイを作製した。
 次にジャガイモシストセンチュウに感受性のトマト品種(強力米寿)を用いて異なる卵数を5段階に分けて接種したものから、接種後12日目に根からRNAを抽出し、PHSによる遺伝子の発現解析を行った。搭載した遺伝子について、各接種サンプルの健全サンプルに対する発現レベルの比(発現比)を図3に比較した。その結果、4遺伝子の発現が卵数依存的に増加することを確認できた。


図3 ジャガイモシストセンチュウの感染に反応したトマト遺伝子の発現誘導


 さらに、2年がかりで様々な提供元から収集した一般ほ場の土壌100サンプルについて、PHSによる解析を行った。搭載した遺伝子の発現比と従来の土壌診断の結果を総合評価し、各遺伝子の発現比についてジャガイモシストセンチュウ感染時の閾値(ここでは感染判定の境目となる値)を設定し、ジャガイモシスト検診のための診断基準を作成した。その結果、PHSによる診断結果と従来法との一致率は93%であり、中密度(乾燥土壌1グラムあたりの卵数が10〜100個)以上のサンプルは全て感染を判定することができた。従来法でも極低密度のサンプルからは検出できない場合があるため、この一致率は極めて高いといえる。一致しなかった土壌サンプルの多くはダイズシストセンチュウ汚染土壌であり、この別種のシストセンチュウに対してトマト遺伝子が反応していることが分かったが、現時点では、ジャガイモシストセンチュウによってのみ特異的に発現誘導してダイズシストセンチュウには反応しない複数の遺伝子を新たに同定できており、両シストセンチュウの判別も可能となっている。
 従来法では、死んだ卵や卵の入っていないシストを見分けることが難しいが、PHSは植物が病原体を感知して初めて検出できるので、寄生性をもつセンチュウのみを検出することができる。また、遺伝子発現の数値データに基づいて客観的に診断できるため、専門知識を必要としない点もPHSの特長である。本検出法で、北海道において(株)ラボがセンチュウ検出を受託する予定である。


おわりに

 PHSによる土壌中にいる病原体や汚染状況を把握するシステムの構築は、将来的には、いわゆる「よい土」の診断につながると期待している。「よい土」は、病気の発病が抑制され、作物がよく育つ、有機質に富み、微生物相が調和している。「よい土」を決定づける因子が判然としないため、例えば農家が経験的に作ってきた土をPHSによって判別することが我々の目標である。「よい土」の合理的な生産こそが減農薬の究極の姿であると我々は信じている。


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