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イスラーム史のなかの砂糖

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最終更新日:2010年5月10日

「イスラーム史のなかの砂糖」(1)
製糖の技術─ウブルージュ─

2010年3月

早稲田大学文学学術院教授 イスラーム地域研究機構長 佐藤 次高

 10世紀以後のイスラーム世界で砂糖がさかんに製造され、十字軍の騎士たちの手によってヨーロッパにもたらされたことはよく知られている。しかしイスラーム教徒(ムスリム)がどのような技術を用いて砂糖をつくり、それをどのように消費していたのか、さらに商人たちが商品としての砂糖をどのように扱っていたのかとなると、あまりよく分からないのが実情であろう。このシリーズでは、アラビア語やペルシア語の史料にもとづいて、このような問題を具体的に考えてみることにしたい。第1回目は、さとうきびの液汁から砂糖の結晶をつくり出す円錐形の陶器ウブルージュについてである。

 アラビア語で砂糖を、スッカル(sukkar)という。英語シュガーのもとになった言葉である。さとうきびを原料とする砂糖生産は、紀元後1世紀頃の北インドにはじまり、その後、東方では唐代にインドの製糖法が中国南東部に導入された。つづく宋・明の時代に本格的な製糖業が開始され、やがて江戸時代の初期、17世紀のはじめに中国から沖縄へと伝えられたとされている。
図1 エジプトのさとうきび栽培地図(13世紀ごろまで)
図1 エジプトのさとうきび栽培地図(13世紀ごろまで)
 いっぽう西方では、製糖業はイスラーム以前のササン朝時代(7世紀はじめ)にイラン・イラクに伝わり、10世紀までにはシリアの海岸地帯とヨルダン川渓谷、さらには下エジプト(注)へと拡大した。その後、12世紀頃までには上エジプト、キプロス島やシチリア島などの地中海諸島、さらにはマグリブ、アンダルシアの地域に広まっていった。10―14世紀頃の西方のイスラーム世界についてみると、各地で砂糖生産が盛んになるなかで、ナイルの恵みを受けたエジプトが第一の生産地へと躍り出たことが大きな特徴であろう。

(注)古代ファラオの時代から、エジプトはナイル川の分岐点(古代はメンフィス、イスラーム時代はカイロ)を境にして、それより北方のナイル下流域を下エジプト、南方の上流域を上エジプトと呼び慣わしてきた。デルタ地帯の下エジプトには多くの運河が開削され、ナイルの水を利用して冬作物(小麦・大麦)や夏作物(さとうきび・綿・米)などを栽培する豊かな農業が営まれた。両岸の狭いナイル渓谷の上エジプトでは、秋の増水を利用した冬作物のほかに、ナイルが減水期を迎える春から夏にかけては、揚水車による夏作物の栽培が行われた。しかし1970年にアスワン・ハイダムが完成すると、古代以来のナイルの増減水を利用した灌漑農業の伝統は失われた。

 さとうきびは、2月から3月にかけて柔らかい良質の土地に植え付けをし、定期的な灌漑を行ったあと、12月前後に刈り取られ、近くの圧搾所に運ばれた。圧搾所では、男たちがきびの汚れを落とし、細片に刻んでから、牛力を用いた石臼で圧搾された。液汁は大釜に集められ、第1回目の煮沸が行われた。マムルーク朝(1250―1517年)の知識人ヌワイリー(1333年没)は、生まれ故郷である上エジプトでの製糖法を次のように伝えている。

 さとうきびの液汁を真鍮製の釜で煮沸した後の煮汁は、底に穴が開いた、底部が狭く、上部が広い素焼き壷(ウブルージュubluj)に注がれる。ウブルージュには、底に三つの穴が開けてあり、きびの茎で塞いである。これらのウブルージュは「滴りの家」と呼ばれる場所に置かれている。そこには飼い葉桶に似た細長いベンチがあり、各ウブルージュの下には受け壷が置かれていて、そこに煮汁のエッセンス、つまり[黒褐色の]糖蜜が滴り落ちてくる(『学芸の究極の目的』第8巻270頁)。

 この一節が、糖汁を煮沸した後、円錐形の素焼き壷(ウブルージュ)を用いて粗糖(カンド)と糖蜜(アサル)とを分離する製糖工程の核心部分である。アラビア語史料は、この褐色の粗糖を「赤砂糖」と呼んでいる。なお粗糖の固まりに水を加えて再び煮沸し、ウブルージュを用いて同じ工程を繰り返せば、上質の白砂糖の結晶が得られることになる。

 ちなみに、ヌワイリーは、これらの製糖工程で働く労働者を「男たち」(リジャール)と表現し、「奴隷」(アブド、あるいはグラーム)とはいっていないことに注意が必要である。他のアラビア語史料を精査してみても、通説に反して、イスラーム世界の砂糖生産に奴隷が用いられていたことを確かめることはできないのである。

 これまでの製糖史研究では、実際の観察にもとづいてウブルージュの記録が残されていることはまれであった。ところが2006年6月に、私はヨルダン北方のアジュルーン郊外の城塞博物館で、偶然に一組のウブルージュと出会う幸運に恵まれた。館内では、無秩序に並べられた展示物を眺めながら漫然と歩いていたが、ある一角に置かれたガラス戸棚のなかの展示物を見て、私はその場に釘付けになってしまった。そこには、一組の円錐形素焼き壷とそれを受ける丸形の壷が展示されていたのである(図2)。円錐形の上部の直径と高さはそれぞれ約30センチメートル、解説文には底に三つの穴が開いていると記されていて、上のヌワイリーの記述ともぴったり一致する。
図2 ウブルージュ ヨルダンのアジュルーン市博物館蔵
図2 ウブルージュ ヨルダンのアジュルーン市博物館蔵
 イスラーム考古学を専門とする川床睦夫氏は、フスタート(カイロの南3キロメートルにある遺跡)の発掘品のなかにもこれと似たものがあったはずだといい、これよりやや細長い褐色の素焼き壷を見つけ出してくれた(図3)。氏の推定によれば、これは14世紀前後、マムルーク朝時代中期のものであるという。アジュルーンの場合のような受け壷は発見されていないが、形状からみて、これもウブルージュの一種に違いないと思う。
図3 フスタート出土のウブルージュ
図3 フスタート出土のウブルージュ
 続くヌワイリーの記述によれば、煮沸後の液汁を入れたウブルージュは、最後に「滴りの家」から「覆土の家」に移されたが、「覆土」とはウブルージュの上部表面を土で覆うことを意味している。この土に水をかけることによって糖蜜をゆっくりと洗い流し、その後、頃合いをみて覆土を除いてやれば、後に残った円錐形の砂糖(第1段階では粗糖)を結晶として取り出すことができたのである。博物館に展示されたウブルージュのおよその体積は7000立方センチ、砂糖の比重を1.59とすれば、この円錐形の砂糖の重量は10キログラム前後となる。

 中国では、円錐形の壷に土をかけ、これに水をかける製糖法を覆土法といい、明代の末に著された『天工開物』(1637年刊)では、ウブルージュに相当する壷を「瓦溜(とうろ)」と表記している(図4)。それでは、イスラーム世界のウブルージュと中国の瓦溜とはどのような関係にあったのだろうか。1290年に元朝治下の福州を訪れたマルコ・ポーロは、次のような注目すべき記録を残している。
図4 『天工開物』の瓦溜
図4 『天工開物』の瓦溜
 3日間の行程に加えてさらに15マイル進むと、砂糖の製造額が莫大な量に達しているウンケン市[福州西北の侯官県]に到達する。カーン(クビライ・ハーン)宮廷で消費するそれこそ巨額な価格の砂糖はすべてここから上供される。ところで、カーンがこの地方を支配する以前には、土地の人びとは、まだバビロンで行っているような調合法による砂糖精製の技術を知らなかった。彼等は、それを凝固し、型に入れて固めるという製法を用いず、ただ煮つめて粋を取るだけであったから、糊の程度の堅さをした黒い砂糖しか造れなかった(愛宕松男訳『東方見聞録』平凡社、東洋文庫、第2巻102頁)。

 バビロンとは、おおまかにいってエジプトのことである。この記事によれば、「凝固し型に入れて固めるという製法」、つまりウブルージュによる製糖法を中国に伝えたのはエジプト人だということになる。これまで訳者の愛宕松男氏をはじめとして、エジプトから中国への製糖法の伝播には疑問を抱く研究者も少なくなかった。しかしその疑問は、エジプトにおける製糖技術の発達について、十分な情報がなかったことに起因していた。先に紹介したヌワイリーの記述は、13世紀前後のエジプトが高度な製糖技術をもっていたことを示している。また、中国の文献でも、瓦溜を用いた精糖法は元代から開始されたことが確かめられている(戴 国W『中国甘蔗糖業の展開』)。

 このように考えてみると、ウブルージュによる製糖法がマムルーク朝時代のエジプトから元代の中国に伝えられ、13世紀後半から瓦溜による白砂糖の生産が始まったことはほぼ間違いのないところであろう。製紙法や火薬、羅針盤などは中国からイスラーム世界に伝えられたが、製糖の技術だけは逆に西から東へと伝播していったことになる。ただ残念なことに、瓦溜による製糖法は江戸時代の日本には伝わらず、したがって当時の沖縄では、黒褐色の糖蜜を分離した白砂糖の結晶がつくられることもなかったのである。

(以上、詳しくは佐藤次高『砂糖のイスラーム生活史』岩波書店、2008年を参照していただきたい)
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