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江戸時代の砂糖食文化

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最終更新日:2011年6月10日

江戸時代の砂糖食文化 〜長崎警備とシュガーロード〜

2011年6月

北九州市立大学文学部 教授 八百 啓介

1.長崎街道の菓子文化のルーツ

 平成23年3月の九州新幹線の全線開通によって、北は青森から南は鹿児島までの本州が高速鉄道によって1つにつながったが、江戸時代においては「江戸のかたきを長崎で討つ」ということわざにみられるように、長崎が九州の終着点であった。

 江戸時代の長崎は、今日の北九州市の小倉から小倉藩・福岡藩・対馬藩領田代・佐賀藩・大村藩を経て長崎に通じる長崎街道で結ばれていた。

 今日、長崎街道の沿道の長崎・佐賀・福岡の北部九州三県地域には、長崎のカステラ、平戸のカスドース、佐賀の丸ぼうろ、福岡の鶏卵素麺などの南蛮菓子をはじめとして、その系譜を引く千鳥饅頭・ひよ子などの銘菓が生まれた。これらの菓子の特徴は、ふんだんな砂糖と鶏卵の使用である。また長崎県大村の名物である「大村寿司」には大量の砂糖と錦糸卵が使われており、限りなく菓子に近い寿司である。

 近年、古代中国とヨーロッパとを結んだ「絹の道」である「シルクロード」になぞらえて、長崎街道を「シュガーロード」すなわち「砂糖の道」と呼ぶようになった。管見の限りでは、すでに昭和60年代には西日本新聞の客員編集委員であった江頭光氏が「シルク・ロード(絹の道)になぞらえシュガー・ロード(砂糖の道)という言葉がある」と書かれている。その後、平成に入った1990年代半ばに『月刊佐賀文化』に佐賀新聞論説委員長の河村健太郎氏による連載記事「肥前シュガーロードを行く」によって佐賀を中心に広まったと思われる。

 ちなみに長崎街道沿いの佐賀県伊万里市は、垂仁天皇の命を受けて常世とこよ
の国に渡った田島間守たじまもりが、不老長寿の霊菓とされた橘を持ち帰って植えたという『古事記』、『日本書紀』ゆかりの地であるとされ、市内の伊万里神社には田島間守を祀った中嶋神社がある。また学問の神様で知られる福岡県の太宰府天満宮の境内にも中島神社があり、九州一円の菓子業者の崇敬を集めている。
 
 

2.「シュガーロード」と佐賀商人

 森永製菓の創業者森永太一郎(1865〜1937)(佐賀県伊万里いまり市の陶磁器卸商の長男として生まれる)や江崎グリコの創業者江崎利一(1882〜1980)(佐賀県神埼郡かんざきぐんの薬種商の長男として生まれる)といった、今日の日本の大手菓子メーカーの創業者や、戦前の三大菓子メーカーの一つであった新高製菓の創業者森平太郎(1869〜1946)(佐賀県北山ほくざん村の菓子商)も今日の佐賀県の出身者である。

 このことに象徴されるように「シュガーロード」における砂糖食文化の伝播には佐賀商人の活動が大きな役割を果たした。

 江戸時代初期に創業がさかのぼる佐賀の菓子商人には、戦国大名竜造寺氏の衰退と佐賀鍋島藩の成立期に武士から商人に転じた由緒を持つ者が多く見られる。

 「千鳥饅頭」の千鳥屋の原田氏の祖先は竜造寺隆信りゅうぞうじたかのぶ
の家臣であったとされ、佐賀銘菓の「丸房露」の老舗御菓子司鶴屋は豊臣秀吉の朝鮮出兵に従った松浦郡の在地領主黒川太兵衛の子善右衛門によって創業されたという。

 小城おぎ
羊羹ようかんの村岡総本舗の村岡氏の祖先も代々戦国大名の竜造寺氏に仕え、十六世紀半ばの永禄年間に小城の高原の在地領主になったという。元和3年(1617)佐賀藩主鍋島勝茂が長男の元茂に家督を譲り、自らは支藩である小城藩を創設したが、このとき本藩から石高を減ぜられ小城藩に配された家臣の中に村岡宇右衛門の名が見られる。宇右衛門の子権吉郎の代には10石5斗の物成を与えられていたが、その後「手明槍」と呼ばれる郷士身分となって禄を離れ、米穀商になったという。

 小城では村岡氏のほか、明治20年代前後に森永氏・横尾氏などにより新式の羊羹が製造されるようになるが、村岡総本舗の社長で菓子研究家の村岡安廣氏によれば、その多くは村岡氏と同じ郷士身分の商人が紙問屋・綿打ち業・素麺製造などから転業したものであったという。

 このように長崎街道における佐賀の菓子商人の活躍の背景には、近世から近代にかけての変動の中で、郷士たちが菓子商売に活路を見出したという歴史があった。

3.江戸時代の長崎警備と鶏卵素麺

 江戸時代には砂糖をはじめ長崎における輸入品の大半は、長崎から船で平戸・下関を経て瀬戸内海に入り、大坂に運ばれたはずである。にもかかわらず長崎から佐賀・福岡にかけて砂糖を原料とした菓子の文化が早くから発展した背景については、有明海沿岸における唐船や薩摩藩との密貿易の存在を指摘する説もある。

 しかし、重要なことは佐賀藩・福岡藩・大村藩・平戸藩といったこれらの領域を支配する藩が江戸時代を通じて長崎港と市内の警備をつかさどっており、その見返りとして砂糖などの輸入品を優先的に購入する特権を幕府に認められていたことである。そのことをよく示しているのが、長崎街道からやや外れた福岡藩の城下町博多に伝わる鶏卵素麺の存在である。鶏卵素麺は、ポルトガル菓子の「フィオス・デ・オヴォス」が我が国に伝わったもので卵黄をジョウロで糸状にして、熱した砂糖溶液に垂らしたものである。今日、東南アジアのタイにも「フォイ・トーン(金の麺)」という同じ菓子があり、16世紀の大航海時代におけるポルトガルの東進にともなう南蛮菓子のアジアへの伝播を象徴する菓子である。

 16世紀に九州のイエズス会修道院で書かれたとされる『南蛮料理書』にも、「ぼうろ」や「かすてらぼうろ」「金平糖」とともに「玉子素麺」の製法が記されている。また江戸時代の半ばには、「カステラボウル」などの南蛮菓子とともに「タマゴソウメン」が長崎の土産であったことが江戸時代中期の天文学者、西川如見にしかわじょけんの『長崎夜話草』に記されている。

 この鶏卵素麺が長崎から福岡に伝わったのは延宝元年(1673)のことであったという。

 寛永16年(1639)、幕府はキリスト教の禁止などを目的としてポルトガル船の来航を禁止する。それとともにポルトガルの報復に備えて、長崎に隣接する佐賀藩・福岡藩に対して、翌年から隔年交代で長崎港の戸町・西泊の番所の警護を命じるとともに、大村藩・平戸藩・島原藩・五島藩の4藩に対しては長崎市中の警備にあたらせた。

 慶長18年(1613)、イギリスは平戸に商館を置いたが、元和8年(1623)日本から撤退した。延宝元年(1673)5月、イギリス船リターン号が長崎に入港し、国王の親書を携え再び貿易を願い出た。長崎奉行をはじめ現地の関係者の中にはイギリスに同情的な意見もあったが、結局、幕府は願いを認めずリターン号は2カ月後に退去する。

 同年は福岡藩が長崎警備の当番であったため、藩主父子が長崎に赴いたほか、通常の千名に加え百数十名の藩士が長崎に派遣された。同時に同藩の御用商人であった大賀家に対して長崎警備の経費を賄うため年貢米を長崎で売却するとともに、必要な物資を調達することが命じられた。

 今日、博多における鶏卵素麺の元祖とされる松屋菓子舗の由緒によれば、大賀家の手代であった初代松江利右衛門が長崎で中国人鄭氏より鶏卵素麺の製法を学び、延宝元年(1673)に3代藩主光之に鶏卵素麺を献上したことをもって創業としている。

 当時、鶏卵素麺は藩主のための御用菓子であり、市中では販売されていなかった。福岡藩の儒学者であった貝原益軒の著した『筑前国続風土記』によれば、「長崎又他国より習て製するといへども、当国の製には及はす、国君の厨にても製す。其製もつとも精し。」とあり、藩主の台所で作られていたものが最高級品であったという。

 これについて松屋第十二代目の松江國秀氏によれば、鶏卵素麺は砂糖・卵という貴重な材料を大量に使用することから、採算を度外視できる御用菓子商であるからこそ作り続けることができたのであり、また、献上菓子であるがゆえに、その製法も変化しなかったということである。

 実は江戸幕府による長崎警備が南蛮菓子の長崎からの流入をもたらしたもう一つの事件が、リターン号の来航に先立つ正保4年(1647)に起こっている。

 この年、ポルトガル船2隻が貿易の再開を求めて長崎に来航したため、幕府は長崎港を封鎖し九州・四国の8大名を動員して警戒にあたらせたが、その指揮を執ったのが松山藩主松平定行であった。このとき定行が長崎で南蛮菓子の製法を学ばせて国もとに伝え、明治になって広く知られるようになったのが、今日、松山の土産として知られる「タルト」である。

 鶏卵素麺も明治になって松屋以外の菓子屋でも作られるとともに、一般の人々に売られるようになる。

 明治18年(1885)の『筑紫国名所豪商案内記』には、松屋のほかにも鶏卵素麺を作っていた菓子屋が記載されている。この中で卵黄のみを用いる鶏卵素麺の製造過程において大量に放棄される卵白の利用法として明治40年(1907)に考案されたのが、石村萬盛堂のマシュマロ菓子「鶴の子」である。

 「鶏卵素麺」「タルト」「鶴の子」は皆、江戸時代の長崎警備がもたらした南蛮菓子の系譜であるといえよう。
 
 
 
 
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