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内外の伝統的な砂糖製造法(15)

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最終更新日:2012年9月10日

内外の伝統的な砂糖製造法(15)
〜ベンガル地方―バングラデシュとインド東部の歴史的砂糖生産地〜

2012年9月

昭和女子大学国際文化研究所 客員研究員 荒尾 美代

 前号では、バングラデシュの現代の「分蜜されていない」グル製造法を報告した。今号は、バングラデシュと、東インドにまたがるベンガル地方について、歴史的背景を絡めながら報告したい。

 ベンガル地方は1765年にイギリス東インド会社がムガル皇帝からベンガル州の徴税権を獲得してから、イギリスの植民地支配下におかれた。それは1947年のインド独立まで続き、この時、イスラム教徒が多い地域は、西と東に分かれてパキスタンとして分離・独立、のちに東パキスタンがバングラデシュとしてパキスタンから独立した。このように、第二次世界大戦後、国家体制が大きく変化したエリアであるが、文化はそう簡単には変わらない。そんな歴史と文化を味わっていただきたい。


 江戸時代に日本で記された外国の土産(どさん)が記されている宝永5(1708)刊行の『増補華夷通商考 四』には、ベンガル土産として、「沙糖 白 黒 氷」が挙げられていることを昨年12月号で紹介した。

 また、それより300年近く前の、明の第3代永楽帝朱棣(しゅてい)が派遣した中国人による「大航海」の記録にも、ベンガルの産物として砂糖が紹介されている。ベンガルの砂糖は、この頃アジアを代表していたといっても過言ではないだろう。ポルトガルのアジア進出の実に約100年近く前からこの辺りへの「大航海」がおこなわれていたのだった。

 バスコ・ダ・ガマ率いるポルトガル船がインドのカリカットに到達したのが1498年。

 16世紀にはポルトガルの商館がベンガル地方にもでき、その後、スペイン、オランダ、イギリスが続き、ヨーロッパの貿易の拠点が置かれた。ベンガル地方で生産された白砂糖は、はるばるヨーロッパへも輸出されていた。17世紀半ば以降、イギリスでは、紅茶文化が中流階級にまで広がり、砂糖は紅茶には不可欠な甘味料となり、さとうきびを栽培できないイギリス本国では、砂糖は輸入に頼らざるを得ない必需品となっていく。

 イギリスは、他のヨーロッパ諸国と同様に、カリブ海の島々を植民地化し、アフリカから奴隷を連れてきて、砂糖生産に従事させ、良質な白砂糖を本国へ供給することができるようになった。関税と運賃が高かったことから、ベンガル糖は西インド諸島産の砂糖との競争に負けた。1840年代に入ると、ドイツを中心としたてん菜糖産業が成長し、わざわざ南アジアからヨーロッパへ砂糖を運ぶ必要がなくなり、ベンガル糖のヨーロッパへの輸出は、1870年代にはほとんどなくなってしまった。

 このように、ベンガル糖のヨーロッパへの輸出はなくなったが、ベンガル地方での地域内消費の砂糖生産は続けられ、現在も盛んである。


 今回紹介するのは、イギリス領であったベンガル地方の東西南北の4つの地域区分のうち、北ベンガルのラッシャヒ管区であったところで、現在の北東インドとバングラデシュの国境をまたぐ地域である。

 さとうきびの刈り取りと砂糖製造の最盛期は、11月から3月くらいまでの間であるが、この辺りを訪れたのは、5月と6月だった。3月から4月に植え付けられたさとうきびは、まだ、50センチから1メートルくらいで、茎は「草」という表現がピッタリな風情で青々していて細かった。

 バングラデシュとの国境に位置するインドの西ベンガル州マルダ県では、グルのことをチャッキーと呼んでいる。市場には、固形のグルが売られているが、その多くが、インド最大の砂糖生産地である、ウッタル・プラデーシュ州から運ばれてきたものだった(写真1)。大量に仕入れて市場に卸す中間業者の家には、ビニールで包装されたグルが積まれていた(写真2)。
 
 
 
 
 また、屋内の床に四角い穴をあけ、ここにリボイル(再加熱)して溶かした結晶と蜜の混合物である流動性のあるジョラ・グル(微細な結晶と糖蜜が一緒に固化されている固形のグルと違って、結晶が大きくはっきりとしているので、結晶のグルという意味でダナ・グルという人もいる)を流し込み、5月から7月までの間グルを作っているところもあった(写真3)(写真4)。四角い穴の中に、ビニールを敷いて濃縮糖液を流し込む(写真5)。一つが約40キロで、600ルピーで売るという(写真6)。リボイルするのは5月から7月までの間で、週に1回程度グルを作っている。品薄になる時を狙った隙間産業といえるが、グル好きの地域の人々の役に立っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 別のグル製造者の屋外の敷地では、圧搾場や固化させる場所が、数カ月で伸びた草に覆われており、ここがグル製造場とは判別できないほどであったが、四角い穴は認められた。どうやらこの辺りでは、やはり地面に掘った四角い穴に濃縮糖液を流し込んでグルを作っているようだった。


 一方、バングラデシュでも、さとうきびではなく、あらかじめ煮詰めて保管しておいた半固化状態のグルを使用する。それを、前号で紹介した長方形の鍋に入れて再加熱し、「分蜜されていない」グルを作る。作り方は、前号と同じだ。やはり、脱色剤のハイドロサルファイトを入れていた。高く売れるので、このように最盛期から外れた時期にリボイルして作るのだという。

 次に、堅く固まっていない状態のグルを紹介しよう。


 インドのマルダ県では、全体が強固に固まっていないグルが、3種類見られた。第1は、あまり大きくない結晶と蜜が容器全体にほぼ均一にあり柔らかく流動性があるもので、日本でいう白下糖に近い。第2は、結晶が下に沈んでいて、蜜が上部にあるもの。このように結晶が析出して底に沈むのには、2カ月くらい要するという。すくうと、蜜の下からジョリジョリとした結晶が現れる。結晶の周りには蜜があるのでベタベタしている。第3は、結晶が上部に固まっており、蜜が下に存在するもの。上部の結晶は、蜜が重力によって下に垂れるので、脱色化が図られていて、明るい茶色になっている。こちらの結晶部分は、乾燥も図られていて、ベタ付き感はさほどない。


 バングラデシュの北部、デナジプル県とラングプル県でも同様なジョラ・グルが市場で売られていた。この時期、硬いグルよりも、ジョラ・グルが主流になっている市場もあった。

 容器は素焼きで、丸い壺に入っているものは、上部を割って店先に並べているものもあった(写真7)。壺は割ってしまえば、使いまわしはきかなくなる。
 3月頃にジョラ・グルを生産者から購入して保管しておき、この時期、順次市場へ卸すという中間業者もいた。素焼きの壺の形が背の高いものもあり、いろいろな所から仕入れを行っているのがわかる(写真8)。
 グルを作る生産農家を訪ねると、この辺りの竈は、円形の鍋一つ焚きだ(写真9)(写真10)。さとうきびのジュースを取り出すローラー式の圧搾機を動かすのに、牛の畜力を用いるというところもあった。必ずと言っていいほど、素焼きの壺に入ったジョラ・グル、ダナ・グルを自家用に保管してあった(写真11)。壺の口から手を入れると、脱色化された大きめの結晶が上部に詰まっている様子がわかる(写真12)。高さがある分、結晶部分が多いのではないかと思うが・・。この壺も、中のダナ・グルを取り出すには、壺を割るしかない。
 ジョラ・グルとダナ・グルのポイントは、結晶を大きくすることだという。加熱濃縮時に、化学薬品を使うと、結晶が大きくならないといっていた。色を見ていただくとおわかりだろう。蜜自体が、黄色くなく、茶や黒なのだ。前号でバングラデュの固形グル製造で使用していた、脱色剤ハイドロフィルサイトを全く使用していないか、使っていても少量とみられる。

 そしてもう一つ、結晶が上部にあるように作るということを意識している人が多かったことだ。製造者に聞くと、濃縮糖液の取り上げるタイミングは、結晶が下に沈むように作る場合が、煮詰め度合いが小さく、したがって、取り上げる温度が低い。そして、結晶が上部にあるようにするには、さらに煮詰める。全体を固化させるグルは、さらに煮詰める。

 ジョラ・グル、ダナ・グル用に濃縮糖液を壺に入れてから、2〜3カ月、蜜が下に落ちるのを待つという。私が調査にいった5月と6月は、グル製造の最盛期が終了する3月からちょうど2〜3カ月後になる。結晶が上部にあって、蜜が下に落ちるちょうどいい時期に訪問していたことになる。


 なぜ、この地域で、このようなグルが作られ、また消費されているのか。

 それは、この地域がイギリスの植民地時代に、白砂糖の一大生産地だったことに起因するのではないかと考える。イギリス東インド会社がベンガルから購入した白砂糖は、1792年と1795年の記録では、デナジプル県とラングプル県からのものが圧倒的に多いのだ注1)。黒砂糖は微細な結晶と蜜を一緒に固化させたものだが、白砂糖製造は、蜜を分離させて白くするため、結晶が大きい方が、蜜の分離はしやすい。そして、容器の上部から結晶化を図ることが、白砂糖製造の要諦であったと考えられる。

 何度か紹介している、植木鉢のように底に穴の開いた素焼きの容器に、穴を塞いだ上で濃縮糖液を入れて結晶化させ、全体が半固化状態になったら塞いでいる穴を開け、モラセスを重力によって滴り落とす方法の名残ではないかと考えられるのだ。残念ながら、底に穴が開いた容器は発見できなかったが、「結晶を上部に存在させて蜜を下に落とす」という「分蜜」を意識していることが認められたのである注2)


 今回紹介したジョラ・グルやダナ・グルは、現代では白くすることを目的に、すなわち白砂糖を作る中間物として作られているわけではない。そのまま食べたり、チャパティやパンにつけたりという食し方である。

 製造技術と共に、代々受け継がれた嗜好を、ジョラ・グルやダナ・グルの中に見た思いである。


注1 谷口晋吉「18世紀末ベンガルの在来糖業」安場保吉・斉藤 修編『プロト工業期の経済と社会』(日本経済新聞社)、1983年、200頁

注2 荒尾美代・Yearul Kabir「「和三盆」技術の源流を探る基礎調査―バングラデシュの伝統的な砂糖生産」『食生活科学・文化及び環境に関する研究助成』第22巻(2007年度)研究紀要(財団法人アサヒビール学術振興財団)、61〜62頁
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