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内外の伝統的な砂糖製造法(18)

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最終更新日:2012年12月10日

内外の伝統的な砂糖製造法(18)〜カリブ海からヨーロッパへ<精製糖>〜

2012年12月

昭和女子大学 国際文化研究所 客員研究員 荒尾 美代

 前号で紹介したドミニカ共和国をはじめ、スペインによって「発見」されたカリブ海の島々は、1494年にスペインとポルトガルとの間で調印されたトルデシリャス条約によって、スペイン領になっていった。

 しかし、17世紀に入ると、他のヨーロッパの国がこの西インド諸島に目を付け、フランス、イギリス、オランダによる海賊行為が頻繁に起こってくる。

 コロンブスが4回の航海によって到達していたグアドループ島とマルティニク島は1635年に、またドミニカ共和国の西側、現在のハイチは1664年にフランスに領有された。

 一方イギリスが領有したのは、バルバドス島、トリニダード島などであった。

 カリブ海の島々では、砂糖生産のプランテーション化が進み、ヨーロッパでの砂糖消費を支えるようになった。フランスでは「コーヒーに砂糖」、イギリスでは「紅茶に砂糖」と砂糖入りの飲み物が庶民にまで定着することとなったが、この背景としてカリブ海の島々を領有して砂糖生産を行うことが出来るようになったことが挙げられる。


 カリブ海の砂糖生産は、基本的にさとうきびの栽培と「粗糖」作りまでを現地で行い、ヨーロッパ本国へ「粗糖」を運び、再加熱して、さらに清浄し、再結晶化させて、より純度が高く、白い砂糖を得るための「精製」を行って商品化するというシステムへと変化していった。


 この「粗糖」を「精製」するということは、地中海を舞台として、カリブ海にさとうきびと砂糖生産が伝わる以前、少なくとも15世紀の半ばには、ベネチア商人が関与して始められたといわれている。

 キプロス島は、地中海にある島で、ヨーロッパよりも早くにさとうきびと砂糖製造法が伝播していた地である。1458年6月5日、キプロス島の王ジェームス2世は、ベネチアの砂糖の煮詰め工程熟練者フランシスコ・コーピオンとの間で、キプロス王国にある砂糖を精製するという契約を行った。コロンブスがアメリカ大陸にさとうきびを植える35年も前のことである。

 ヨーロッパの中央貿易都市は、16世紀前半にはベネチアからベルギー北部のアントワープへと移っていく。1550年までにアントワープには、13の精糖工場が出来、1556年までには19工場に発展していた。アントワープの商人の中には、カナリア諸島やブラジルの砂糖生産の工場のオーナーとして、精糖業にかかわる者もいた。粗糖の生産現場と、消費地に近い精糖工場を双方押さえるという、国境も、海も超えたワールドビジネスモデルの先駆けといえよう。

 アントワープの精糖工場数は、1560年にはピークに達し、1576年に、都市をプロテスタントの反乱を弾圧したスペインの将軍アルバによって抑えられると、アントワープの精糖工場は姿を消し、貿易都市はオランダのアムステルダムへ移っていく。アムステルダムには、1650年までに40の精糖工場が稼働し、1770年までには110工場にまで増えた。もう一つの精糖業の中心地のイギリスでは、そのスタートは遅かったものの、1753年までにイギリスには80工場、スコットランドには120工場が建てられた。


  粗糖をカリブ海の生産地から輸入して行う精製法とは、どのような方法を採っていたのであろうか?

 1764年、フランス人の医者で農学者のモンセウ(Duhamel de Monceau )が記したL'Art de Raffiner le Sucreの中で紹介されている精製法について紹介しよう。なお、本稿で使用している図および写真は、フランスの植民地での精製法とみられる別の書物からのものであるので、本文とは一致していないことをお断りしておく。


 まず、フランス本国へ西インド諸島から送られた砂糖には、白さの度合いによって、4つのランク付けがされており、生産地である西インドでも、「精製」された砂糖を作っていた。

(1)〈粗糖〉または〈マスコバド(muscavado)〉
(2)〈旧式の砂糖〉または〈灰色のカソナード(cassonade)〉
(3)〈覆土法による砂糖〉または〈白いカソナード〉
(4)〈精製糖〉

 マスコバド糖は、国や地域によってその実体は異なるようであるが、分蜜を全くしていないか、あるいは少し分蜜をしている砂糖と考えられる。ポルトガル領マデイラ島やブラジルでは、全く分蜜されていない、日本でいえば黒砂糖のことをパネラ(panela)と呼び、分蜜操作を加えて茶色から黄色の砂糖のことをマスコバドと言っていた。一方、カリブ海の島々では、全く分蜜されていない砂糖を、マスコバドと呼んで、17世紀中頃以降、粗糖としてヨーロッパの精製糖産業へ向けて大量に送っていた。

 カソナードというのは、現在でもフランスのブラウンシュガーを指す名称として使用されており、さとうきび100パーセントから作られていて日本でも入手できる。現在売られているカソナードは茶色っぽいが、〈灰色のカソナード〉というのは、黒味が少し抜けた砂糖、〈白いカソナード〉というのは、より分蜜が進んで白っぽくなっている砂糖ということであろう。


 精製糖作りには、送られてきた〈精製糖〉以外の3種の砂糖が、在庫量比率に応じて混合され、溶解された。これは精製工程操作の均一性を図るためである。たとえば、在庫量を無視して分蜜が進んだ〈白いカソナード〉を多く配合してしまうと、〈マスコバド〉が大量に残ってしまって、〈マスコバド〉だけで溶解するようになると、分蜜が進んでいない砂糖を使用するため、清浄工程には手間と時間がかかってしまい、1鍋ごとに操作が異なることを避ける工夫である。そして、これらの配合された砂糖に、すでに再溶解されて作られた砂糖から排出された上品質のシロップを混ぜて使用した。


 精製糖を作る工程は、再清浄加熱、再加熱、再結晶化、逆円錐形の容器と覆土による分蜜、そして乾燥である。

 以下、その工程を順に記すことにしよう。


清浄工程

 清浄用の鍋には、石灰水と砂糖を2:1の比率で投入した。これに、卵の白身か、新鮮な牛の血を入れた。ここがヨーロッパでの精製糖作りの最大のポイントで、加熱すると凝固する動物性タンパク質の性質を利用して、不純物を取り込んで凝集させて、濾過または、凝固して浮いてくるあくを取り除くという清浄方法だった。

 清浄用の鍋に火をつけると、すぐに表面にスカム(ゴミあるいは滓のような不溶性の物質)が浮き上がってくるので、火を引き、15分そのままにしておき、滓を取り除く。この操作を、澄んだきれいな糖液になるまで繰り返す。

  砂糖を白くするというのに、真っ赤な牛の血を使用するというとギョッとするだろう。モンセウは、魚類の浮き袋からとったゼラチン質でも清浄を試みたが、良い結果はでず、血がよりよい清浄材になるという意見だった。

 アムステルダムの精製所では、血の使用は禁止されていたが、規制は網の目をくぐられ、実際は使用されていたという。フランスのパリの南西部のオルレアンでは、砂糖精製の最盛期には、食肉処理場が十分な血を供給することができず、パリから血を運んで供給した。


煮詰め工程

 加熱用の鍋の容量の半分に、清浄工程を経た糖液を入れ、強火にかける。すぐに湧き上がってくるので、バターを少し入れて、吹きこぼれないようにコントロールする。

 約45分後、糖液を親指と他の指の間に少し取って、親指を下に動かして、糖液の糸を作る。その糸状に伸ばした糖液が、親指以外の指側で切れると、まだ煮詰め状態が不十分である。下に伸ばした親指側で切れると、ちょうど良い煮詰め具合のポイントに達している。

 糖度計などない時代、職人が経験から得た煮詰め具合をみる方法だ。この方法は、多くのオープン・パンで伝統的な砂糖製造をおこなっているところで、現在でも見られる光景だ。
 
 
再結晶化と分蜜工程

 濃縮糖液は、いったん冷やすための容器に入れられた。この状態で放置すると糖液の上部は固まった状態になるので砕いてかきまぜ、底に穴の開いている底部が窄まっている円錐形をした覆土用の型に移し替える。

 この型は、滴り落ちる蜜を受けるために壺の上に固定されており、11〜22インチ(27.94〜55.88センチ)までの高さ、5〜10インチ(12.7〜25.4センチ)までの直径で、大きなもので30〜35ポンド(約14〜16キログラム)入り、最も小さいもので5ポンド(約2.3キログラム)入りであった。

 この型に入れて2回かき混ぜ、4〜6日このまま壺の上に立てておくと、底から黒いモラセスが流れ落ちてくる。上部の層は擦り取られ、細かい白いカソナード砂糖として、仕分け部屋の所定の場所へ運ばれる。


覆土法による分蜜工程

 結晶にまだ付着している暗色の非結晶分を取り除くために、円錐形の型の中の砂糖の塊(これをパンと言った)の上に、ゆっくりと水が滴る水分を含んだ粘土を乗せる。その粘土は、フランス北部のルーアンと西部のソミュールから取り寄せた粒子が細かく色がない最上のものだった。 

 8〜10日後、砂糖の塊はチェックされ、もし必要であれば2回目、あるいは3回目の覆土を同様に行う。最後に、円錐型を逆さまにして、円錐形の砂糖の塊を衝撃を与えて型から取り出す。
 
 
乾燥工程

 円錐形の砂糖の塊は、冬は石炭の火がある大きな部屋に乾かすためにまず置かれる。その後、800個もの砂糖の塊を収納できる階層の工夫がなされた温室へ運ばれる。1〜3日は弱い熱で乾かし、その後5〜7日は室温を50度Cまで上げる。その後、ゆっくりと冷やす。

 最終的な工程まで到達できない欠陥品は、再び溶解する製造工程へ戻される。こうして選別された砂糖のパンは、砂糖の黄色い色合いを覆い隠すために、ブルーの紙で包まれた。
 
 
 
 
 最終的に消費者へわたる精製糖は、円錐形の乾燥した塊だった。これを、専用のチョッパーで砕いて使用した。

 「粒状の方が使いやすいのではないか?」と、私はずっと思ってきた。なぜ、塊にするのかが疑問だったのだ。

 その謎は、乾燥させ、空気に触れる部分を小さくすることにあったのではないかと考える。カチンカチンに固まった円錐型の砂糖は、空気に触れる部分が少ないので、湿気に触れる部分が少ない。粒状だと、空気に触れる表面積が多くなるので、湿気を取り込みやすく、溶解しやすいのだ。包装も、空気を遮断するビニール袋などが無い紙の時代・・。

 まだ、遠心分離機が発明される以前の精製糖である。現在のように、結晶とモラセスの混合物である流度が残る「白下糖」を遠心分離機にかけて、ビューンとモラセスを吹き飛ばすという分蜜法が確立される以前の話なのである。「精製糖」とはいえ、現在のほぼショ糖100パーセントに近いグラニュー糖には及ばない純度であったことは想像にかたくない。

 長年の疑問を、こう解釈している。


 現在、日本の精糖会社は、さとうきびを栽培している国で作られた粗糖を輸入して、日本国内の工場で、精製して袋詰めにし、流通ルートにのせるという方式を採っている。粗糖は海外から運ばれてくるという図式は、すでに15世紀半ばのイタリアで発祥していたのである。

 砂糖は、世界の海を越えてやってくる。

 歴史的にも、そして現代社会においても、これほどグローバルな食品はないのではないだろうか。
このページに掲載されている情報の発信元
農畜産業振興機構 調査情報部 (担当:企画情報グループ)
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