アスリートにおけるパフォーマンス向上につながる糖質摂取
最終更新日:2017年8月10日
アスリートにおけるパフォーマンス向上につながる糖質摂取
2017年8月
森永製菓株式会社ウイダートレーニングラボ スポーツ栄養チーフ 清野 隼
はじめに
「糖質オフ」「糖質制限」−何かと話題のキーワードが社会経済にも大きな影響を及ぼし、それらをコンセプトとした健康食品も訴求されている。エビデンス(科学的な証拠)に基づいて、正しい知識が消費者に伝わってほしいと願っているが、実はわれわれがサポートしているトップアスリートにおいても、その余波は例外ではない。「競技パフォーマンスを向上したいのであれば、『適切に』『トレーニングや競技に応じた』糖質補給を行いましょう」−必ずと言ってよいほど、われわれスポーツ栄養士はアスリートに対して糖質補給の重要性を教育している。それでは、『適切に』『トレーニングや競技に応じた』とは、どういうことか?
本稿では、日々アップデートされ続けているアスリートのパフォーマンス向上につながる糖質摂取について、その見解と簡単な事例について報告したい。
1.アスリートにおける糖質摂取量とパフォーマンスに与える影響
表1ならびに
表2は、国際的に定められているアスリートの糖質摂取量に関するガイドライン
1)を参考に、筆者が改編したものである。1日の摂取量は、トレーニングの強度や継続時間ならびに試合日における摂取目的など、さまざまな状況に応じて、体重1キログラム当たり3〜12グラムと幅広く設定されている。つまり、アスリートは、「小学1年生の6〜7歳男子は、590キロカロリー食べましょう」といった学校給食の例のように、毎日定められた量を摂取するわけではない。アスリートの糖質摂取量に影響を及ぼす要因を
表3に示したが、アスリートはこれらの変化に応じて糖質摂取量をコントロールすることが、競技パフォーマンス向上のために必要となる(よって、糖質摂取の意義や重要性について理解を深める教育もカギとなる)。特に大きな要因と考えられるのが、トレーニング量(強度、時間)である。
図1はトレーニング強度に応じた筋グリコーゲン濃度の変化
2)を示したものである。例えば、120%VO
2max
(注)の運動強度でトレーニングを行った場合、筋グリコーゲン濃度は短時間で急激に減少するが、30%VO
2maxの運動強度で長時間トレーニングを行った場合、筋グリコーゲン濃度はある程度維持される。アスリートはトレーニングコーチと相談の下、皆さんの想像を超えるような強度のトレーニングを行っていることもあれば、試合でパフォーマンスのピークを迎えられるようトレーニング量をコントロールしている時期もある。このため、われわれスポーツ栄養士は、アスリートはもちろん、指導者やトレーニングコーチとコミュニケーションを取りながらトレーニングの状況を把握した上で、それに応じた適切な糖質摂取量を教育できるよう心掛けている。
(注)ある運動を行った時の酸素摂取量を最大酸素摂取量に対する割合で示したもの(%VO2max)。各個人の相対的な運動強度を推定するための指標として使われる。
表1、
表2を基にさらにひも解いていくと、競技時間が長く、90分以上にわたる場合は、血糖値や筋グリコーゲンを維持するために、糖質の補給量とそのタイミングが重要であることが報告されている
3)4)。また、運動中の糖質補給によって血中のグルコースを維持し、免疫機能が保たれることも示されている
5)(
図2)。そして、運動後に糖質とタンパク質を同時に補給することによって、高糖質食や低糖質食よりもグリコーゲンの回復時間が早いということも分かっている
6)(
図3)。
なお、弊社では、このエビデンスを基に開発したプロテイン製品がある(
写真1)。
従って、例えば
写真2、
写真3、
写真4に示す選手のように試合前日の夕食や試合当日の昼食で、パスタや助六寿司、果物などの糖質源を補給したり、運動中に糖質を中心としたエネルギーゼリーを補給したり、運動後に糖質も、タンパク質も両方補給することができるおにぎりやプロテインなどの栄養補助食品を食べたりすることは、アスリートにとっても、パフォーマンス向上のために大変有効な食べ方であると言える。
しかし、こういった糖質摂取の重要性がうたわれているにも関わらず、「体重を落とさなければいけないので、糖質制限しています」という安易な考えを持つアスリートも、筆者の経験ではあるがしばしば見受けられる。残念ながら場合によっては、本人の意に反して本末転倒の結果に陥る可能性もある。そのようなことを行っている目的と本人の現状ならびに問題点を丁寧にアセスメントし、パフォーマンス向上のための糖質摂取の重要性を教育する必要があると考えられる。
2.「糖質オフ」「糖質制限」の背景
一方で、
図4に示すように、意図的に筋グリコーゲン貯蔵量を減少させてトレーニングを行うことで、運動適応を増大させる“Train-Low”ならびに筋グリコーゲン濃度が低い状態で就寝する“Sleep Low”という手法も、近年注目を浴びているのも事実である
7)〜11)。運動前後の低糖質食、早朝空腹時の運動によって、脂質利用率の増加や脂質代謝関連遺伝子群の発現、さらには興奮作用を引き起こすアドレナリン濃度の増加なども示されていることから、アスリートへのパフォーマンス向上につながる栄養補給として検討されている。これらの情報のあくまでも一端が、一般消費者はもちろん、アスリートにも何かしらの形で伝わり、“適切か、そうでないかは別として”取り入れられているという現状があるのではないだろうか。こういった背景が冒頭の「糖質オフ」「糖質制限」という言葉に置き換えられ、なんとなくまん延しているのかもしれない。実際に、筆者も減量を目的としてこのような手法を応用することもあるが、「パフォーマンスの向上」という目的を達成させることを踏まえると、私見ではあるが感染症のリスクや、疲労の回復遅延といった観点から、現段階ではリスクの方が大きいと感じている。
従って、しつこいようではあるが、「パフォーマンスの向上」を目的としたアスリートは、いかに『適切に』『トレーニングや競技に応じた』そして自身が達成しようとしている「目的に応じた」糖質摂取を実現できるかが、大きなカギとなっている。
3.糖質補給に着目したフルマラソンのサポート事例の紹介
これらの背景を踏まえて、あるサポートの事例を紹介したい。この取り組みは、フルマラソンに取り組む50歳を超えた一般男性が、3時間55分56秒(2015年3月15日)の自己ベストタイムを31分14秒更新して、カウンセリング開始当初に設定した3時間30分を下回るという目標を達成することができた成功事例である。なお、トップアスリートの事例も是非お伝えしたいところではあるが、守秘義務や倫理的観点から、本稿においては控えさせていただくことをご了承いただきたい。
このクライアントは、毎週末に20キロメートル前後のランニングを自主的に行い、栄養摂取状況も細かくフィードバックしていただき、密な取り組みが可能であった。そのため、レース数日前から高糖質食を取る「グリコーゲンローディング」という手法を用いてレースに臨んでいる。グリコーゲンローディングとは、
表2に示されてある通り、体重1キログラム当たり10〜12グラムの糖質を1日で補給するという非常に極端な高糖質食を食べる食事法である。これまで持久的パフォーマンスの向上に寄与したという報告が多数報告されているが、否定的な考えを示す報告もあり
12)、数多くの議論がなされている。この手法は、一般市民ランナーに対しての事例検討が少ないことから、本番のレースも合わせて、半年間で3回のフルマラソンと3回のグリコーゲンローディングを実施し、十分に効果を検証した上でサポートを行った。実際に2回目に実施した内容を
図5に示した。クライアントは、急激な体重の増加について不安を抱いていたが、レース2日前から高糖質食を取ったにも関わらず、体重が増えることはなかった。これは、過剰なエネルギーとなる糖質補給を行っても、体重は増えることはなく、持久的パフォーマンスが向上したという先行研究
13)と一致しており、運動量が多いクライアントはそれに応じて糖質摂取量を増やしても、体重が増えることはなく、むしろパフォーマンスの向上に働く可能性が示唆されているのではないだろうか。
また、
図6は2回目のフルマラソン当日に栄養補給した内容をヒアリングしたものである。主に、エネルギー量と糖質量を記載してあるが、
図7が示す通り、約80%が糖質からのエネルギー補給となっている。スタートして10キロメートル程で食べ過ぎて腹痛を起こしているが、補給内容を見ると、固形物を多く取っていることが分かる。走り始めてからの固形物は、胃に滞留しやすく、腹痛の原因になると考えられるため、3回目のフルマラソンに向けては、「固形物は朝食でしっかり食べ、レース中は少量ずつ、こまめに補給」ということをフィードバックした。このように、糖質量はもちろん、実際のスポーツ現場においては形状や、摂取タイミング、試合に合わせた戦略的な補給計画も重要なポイントとなる。最終的には、目標とする大会を完走したクライアントから「最後のスパートまで全く疲れを感じずに、楽しく走れました」という喜びの声が寄せられた。私見ではあるが、これも糖質を中心とした栄養補給の戦略が大きかったのではないかと感じている。
おわりに
本稿では「アスリートのパフォーマンス向上につながる糖質摂取」について、薄識ではあるが事例も交えて取り上げた。一口に「糖質」と言っても、2020年オリンピック・パラリンピックも見据えてか、就寝して朝目覚めた時には、すでに新しい知見がアップデートされているような日々である。そのため、本稿はあくまでも執筆した段階における見解であることをご了承いただきたい。
しかし、筆者は「糖質摂取」と聴くと、どうしても人工的な感覚がしてならない。パフォーマンスの向上につながる新しい知見がアスリートのために生かされることは、スポーツ医科学に携わる自身としては大変嬉しいことである。トップスポーツ現場においては、その積み重ねがコンマ一秒の差を生み出すことになるのは間違いない。ただ、個人的な思いとしては、「おいしいごはんを食べることができる」その感謝を感じることができるだけで、幸せだと思いたい。実は、何も難しく考えずに、「おいしくごはんを食べよう」というシンプルな言葉一つで十分なことが、指導現場でも多々あるのかもしれない。食の持つ力を、そのような側面からも伝えていきたいと、日々関わるトップスポーツ現場から考えさせられている。
参考文献
1)Burke LM et al(2011)「Carbohydrate for training and competition」 『Journal of Sports Sciences』(29〈suppl 1〉) pp. 17-27.
2)Gollnick PD et al(1974)「Selective glycogen depletion pattern in human muscle fibres after exercise of varying intensity and at varying pedalling rates」 『The Journal of Physiology』(Aug.241〈1〉)pp. 45-57.
3)Pochmuller M, et al(2016)「A systematic review and meta-analysis of carbohydrate benefits associated with randomized controlled competition-based performance trials」 『Journal of the International Society of Sports Nutrition』(13;27).
4)Hawley JA, et al(1997)「Carbohydrate-loading and exercise performance. An update」『Sports Medicine』(24)pp. 73-81.
5)Ivy JL, et al(2003)「Effects of a carbohydrate-protein supplement on endurance performance during exercise of varying intensity」 『International Journal of Sport Nutrition and Exercise Metabolism』 (13)pp. 382-395.
6)Ivy JL, et al(2002)「Early postexercise muscle glycogen recovery is enhanced with a carbohydrate-protein supplement」『Journal of Applied Physiology 』(93〈4〉)pp. 1337-1344.
7)塩瀬圭佑他(2014)「運動前のグリコーゲン減少程度が運動時の代謝応答に与える影響」『体力科学』(63)pp.401-408.
8)Pilegaard H, et al(2002)「Influence of pre-exercise muscle glycogen content on exercise-induced transcriptional regulation of metabolic genes」『The Journal of Physiology 』(541)pp. 261-271.
9)Marquet LA, et al(2016)「Periodization of Carbohydrate Intake : Short-Term Effect on Performance」『Nutrients』(8).
10)Marquet LA, et al(2016)「Enhanced Endurance Performance by Periodization of Carbohydrate Intake: “Sleep Low” Strategy」『Medicine & Science in Sports & Exercise 』(Apr. 48〈4〉)pp. 663-672.
11)寺田新他(2016)「運動後の栄養補給法に関する最近の知見」『臨床スポーツ医学』(33 〈12〉)pp. 1144-1149.
12)Fogelholm GM, et al(1991)「Carbohydrate loading in practice: high muscle glycogen concentration is not certain」『British Journal of Sports Medicine 』(Mar.25〈1〉)pp. 41-44.
13)塩瀬圭佑他(2014)「非アスリートの食事内容自己選択型グリコーゲンローディングにおける糖質摂取量と筋グリコーゲンの変化」『ランニング学研究』(25〈2〉)pp. 17-23.
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