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日本アイスクリーム産業の歴史

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最終更新日:2019年7月10日

日本アイスクリーム産業の歴史

2019年7月

一般社団法人日本アイスクリーム協会 前専務理事 桜木 正実

はじめに

 日本人とアイスクリームの出会いは、江戸時代末期のこと。幕府が派遣した使節団が訪問先のアメリカで食べたのが最初で、そのおいしさに驚嘆したと言われています。そして明治2(1869)年6月(新暦7月)、町田房蔵なる人物が横浜馬車道通りで氷と塩とを使用して、日本人として初めて、アイスクリーム「あいすくりん」の製造販売を始めました。この「あいすくりん」は牛乳、卵、砂糖で作った今に言うシャーベットのようなものと思われます。2019年は、町田房蔵のアイスクリームの製造販売から150年目の記念すべき年になります。

  新大陸アメリカでは、1851年、メリーランド州ボルチモアの牛乳商、ヤコブ・フッセルが手回し式のアイスクリームフリーザーを大型化します。ここからアイスクリームの産業化が始まりました。それは、町田房蔵からさかのぼること18年前の事です。

 日本におけるアイスクリームの産業化は大正期に始まり、現在、およそ100年目を迎えます。市場規模は、一般社団法人日本アイスクリーム協会(以下「日本アイスクリーム協会」という)が統計をとり始めた昭和41(1966)年の510億円から、51年後の平成29(2017)年には5114億円と、10倍に増加しました。一時期、長期に市場が縮小するなど波乱の時期を経験しましたが、現在は安定した成長を続けています。

 アイスクリーム産業のスタートからほぼ一世紀、幅広い年代のお客様にキングオブスイーツとして愛されるアイスクリームの産業としての歴史をご紹介します。

 なお、明治、大正期におけるアイスクリームの歴史は、日本アイスクリーム協会ホームページに「日本アイスクリーム史」としてPDFにて掲載しています1)

1.アイスクリームの工業化

 日本でアイスクリームの工業化がスタートしたのは大正9(1920)年、東京深川にあった冨士食料品工業(現在は冨士森永乳業株式会社〈森永乳業グループ〉)のアイスクリーム工場です。米国製アイスクリームフリーザーを導入し、工業的にアイスクリームの生産を開始しました。

 次いで、大正10(1921)年に、明治乳業株式会社(現在の株式会社明治〈以下「明治」という〉)の前身である極東(れん)(ひへんに柬))乳株式会社三島工場でも工業生産が始まります。そこで出来上がったアイスクリームは三越などの百貨店で販売されていました。また、大正12(1923)年には北海道札幌市の自助園農場(後の雪印乳業株式会社)が「自助園アイスクリーム」の製造を始めます。「自助園アイスクリーム」は、チョコレート、ストロベリー、レモンの「3色アイス」で、その後、「ブリックアイスクリーム」として売り出されます。また、今では当たり前になっているカップ入りアイスクリームは、昭和10(1935)年に製造が始められています。

2.戦後のアイスクリーム

 昭和16(1941)年に始まった太平洋戦争で、酪農生産物のほとんどは軍用物資として徴用され、アイスクリーム製造はすべて中止されます。

 戦後、いち早く復活したのがアイスキャンデーでした。水にサッカリンなどの甘味料などを混ぜたものをブリキの氷結管に入れ、割り箸を挿して凍らせただけのものです。昭和25(1959)年ごろまではこのアイスキャンデーが全盛でした(写真1)2)

 昭和27(1952)年には、雪印乳業株式会社(以下「雪印」という)がスティックアイスの製造を開始します。これは脂肪分が3%の、オーバーラン(アイスクリームの口当たりを滑らかにするために混入する空気の割合)が入ったアイスクリームで、ミルクとバニラの滑らかな食感のアイスクリームは硬い氷菓子のアイスキャンデーに取って代わり、時代はアイスクリームへと移っていきます。

 

3.アイスクリーム時代の到来

 昭和28(1953)年、国産のカップ(じゅう)(てん)機が雪印の品川工場で稼働を始めます。その頃、ようやく日本製の紙カップも使用できるようになり、本格的にカップアイスの生産が始まりました。

 昭和30(1955)年に協同乳業株式会社は、当時酪農先進国のデンマークからアイスクリームバーマシンを輸入し、東京日本橋の本社ビル1階をアイスクリームの製造工程が見える工場として、生産を開始しました。

 同社は昭和31(1956)年に1本10円の「アイスクリームバー」を発売し、大量生産によるアイスクリームの大衆化の道を開きます。昭和35(1960)年には当たりくじ付き「ホームランバー」を発売し、当時の子供たちの間で爆発的な人気となりました(写真2)。当たりくじの仕組みは、バーに当たりマークを焼き印し、当たり(ホームラン)が出たら買ったお店でもう1本もらえるというものでした。 

 

 戦前は、大手乳業会社の明治や雪印が中心でしたが、戦後は多くの乳業メーカーや菓子メーカーが参入していきます。乳業メーカーは自社で生産した練乳を消費するために、菓子メーカーは夏場の売り上げ減少対策や事業多角化を目的としていましたが、これらはその後のアイスクリーム産業発展の核となっていきました。

 昭和25(1950)年には乳製品が、昭和27(1952)年には砂糖の価格統制が廃止され、アイスクリーム産業はその発展基盤が整ってきました。日本アイスクリーム協会の主要会員である特別会員会社13社の中で、明治、雪印(現在は株式会社ロッテ)を除く11社のうち、実に9社が昭和20年代から30年代に参入しています。

 さらに、これらのメーカーは現在につながるロングセラー商品を次々に開発し、市場の拡大をけん引しました。昭和50年代には、マルチパックという新しい形態の商品が登場し、冷凍冷蔵庫の普及と相まって、買い置き需要を掘り起こし、さらなる市場拡大につながりました。

4.アイスクリーム市場の変遷:低迷とV字回復

 日本アイスクリーム協会が統計をとり始めた昭和41(1966)年の市場規模は510億円でしたが、昭和49(1974)年には1000億円を突破、昭和53(1978)年には2000億円、昭和59(1984)年には3000億円の大台を突破しました。その後、昭和の時代はほぼ右肩上がりに成長し、昭和63(1988)年には3382億円となっています。平成の時代に入るとさらに成長を続け、平成6(1994)年にはついに4000億円を突破し、4296億円を記録しました(図1)。

 

 しかし、その後9年の間は、毎年前年割れという長期の低迷を経験することになります。9年後の平成15(2003)年には3322億円となり、ピーク時から約1000億円の市場を失うことになりました。

 堅調に拡大してきたアイスクリーム市場が長期にわたる低迷に陥った理由については、いくつかの推論があります。第一に、小売チャネルの変化(一般小売店の衰退、スーパー・コンビニエンスストアの隆盛)が挙げられます。特にコンビニエンスストアは、昭和63(1988)年に1万店、平成8(1996)年に3万店、平成14(2002)年に4万店と短期間に店舗数を拡大ました。それに対し一般小売店は、コンビニエンスストアの増加速度以上に減少し、一時的にアイスクリームの売場が、減少したのではないかと思われます。

 次に、競合商品(小型ペットボトル、チルドデザートなど)の拡大が挙げられます。スーパー・コンビニエンスストアでは、チルド売場が充実・拡大し、アイスクリームと直接的に競合したと考えられます。これらの要因に加え、売り上げの減少から、各メーカーのアイスクリーム事業への投資意欲が抑制されるというマイナス循環があったのではないかと思われます。

 平成6(1994)年から9年間縮小し続けた市場は、平成15(2003)年に底打ちし、その後順調に回復していきます。回復の要因としては、平成16(2004)年以降、ノープリントプライス化に合わせ中間価格帯商品(ワンコイン商品からの脱却)を導入し、付加価値を高めた商品を発売したことが大きいと考えられます。また、大手メーカーを中心に設備投資が行われ、技術革新が進み、生産効率の向上が進んだことも大きな要因です。また、平成20(2008)年には、原料価格の高騰に対応した価格改定(100円を120円)が行われ、ワンコイン商品から名実共に脱却し、より付加価値を高めた商品が多様な価格で提供されるようになりました。そうした取り組みが、消費者の支持を集めるという好循環を生み、平成22(2010)年に4000億円を回復、平成25(2013)年以降、5年連続の史上最高売上高を更新し、平成29(2017)年には5000億円を超え、5114億円を達成しました。

おわりに

 日本アイスクリーム協会が発行している「アイスクリーム白書2018」3)において、アイスクリームは好きなスイーツ部門で45.4%を獲得し、トップに輝きました。1997年から連続して、2018年もやはり“キングオブスイーツはアイスクリーム”ということになりました。

 「アイスクリームの『価格』と『価値』」に関しての調査では、「価格に見合った価値がある」(72.0%)と「価格以上の価値がある」(16.3%)を合計すると88.3%と、約9割の方がアイスクリームの価値を評価しております(図2)。また、「アイスクリームの気に入っている、好きなところ」として、「おいしいこと」が群を抜いて高く、次いで「手軽に食べられる」、「手ごろな価格」が続きます(図3)。

 

 

 さらに、「ちょっと幸せな気分になれる」(34.8%)、「気分転換できたり、やる気が出ること」(13.4%)、「家族や仲間と楽しい時間が過ごせること」(10.3%)など、心理面でのプラス効果も評価されおり、アイスクリームは食品としての評価だけでなく、「癒やし・安らぎ・つながり」などを提供できるComfort foodとして、今後さらに成長が期待できる産業と考えます。

  【参考文献】
1)一般社団法人日本アイスクリーム協会(2016)「日本のアイスクリーム史」『日本アイスクリーム協会創立50周年記念〜アイスクリームのあゆみ』https://www.icecream.or.jp/biz/history/history.pdf(2019/6/11アクセス)
2)和氣孝(2017)「戦後のアイスクリーム産業史“アイスクリーム協会50年史から”」

3)一般社団法人日本アイスクリーム協会(2019)「アイスクリーム白書 2018」https://www.icecream.or.jp/biz/research/pdf/hakusho2018.pdf(2019/6/10アクセス)

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