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地理学で読み解く世界の砂糖生産地域

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最終更新日:2019年11月11日

地理学で読み解く世界の砂糖生産地域

2019年11月

日本大学 文理学部 教授 矢ケア 典隆
【要約】

 世界の砂糖生産と砂糖生産地域は、時代とともに変化してきた。地理学は多様な地理的条件に着目して、地域やその地域現象を説明する学問分野である。砂糖の地理学の方法を用いて、世界の砂糖生産地域を、ローカルな地域の枠組みに即して、またグローバルな動向に照らして検討することにより、砂糖に関する理解を深め、砂糖をめぐる課題を認識することができる。

はじめに

 地理学は古い歴史を持つ学問分野であり、地域を記述し、地域の現象を説明し、地域の課題を認識することを目的とする。地球上には、多様な地理的条件を反映して著しい地域差が存在する。地理的条件には、自然的な条件、すなわち地形、気候、土壌、植生、天然資源などがあり、人文的条件として文化、伝統、政治、社会、経済などが挙げられる。地理学はこのような多様な地理的条件を認識し、地域やその地域現象へアプローチする。その際に、対象とする地域の範囲をローカルなスケールからグローバルなスケールまで設定し、地域の特徴、すなわち地域性の解明に努める。地域に関する情報や知見を整理し、蓄積し、説明することにより、バランスの取れた地域像を描き出すことができる。

 地理学にとって砂糖と砂糖生産地域は重要な研究対象である。それは、砂糖が人間の生存にとって不可欠であるばかりでなく、砂糖の生産が地域の経済や社会の在り方を左右する重要な経済活動であるし、砂糖がグローバルに流通する商品だからである。砂糖に焦点を当てることにより、地域と時代、社会と経済、人口移動と文化などについて理解を深め、地域構造を明らかにすることができる1)2)。本稿では、「砂糖の地理学」の概要を解説し、世界の砂糖生産地域について考えてみたい。

1.地理学の考え方

 まず、地理学の伝統的な考え方の枠組みについて説明してみよう。地理学の方法は技術革新に伴って時代とともに変化し、研究対象とする社会の姿も変化してきた。しかし、学問分野として変わらないのは、自然と人間、起源と伝播(でんぱ、地域と景観、時間と変化に注目するという考え方である。

 第一に、地理学は自然と人間との関係を解明する学問であると昔から認識されてきた。人間は自然の制約や影響を受けて生活し、時として災害によって大きな被害を受ける一方、自然を認識し、利用し、改変してきた。第二に、地表面は連続しているため、人、物、情報、技術、文化などが広域に移動して、地域間に接触と交流が生じる。さまざまな事象はどこで発生し、どのような経路と経緯で伝播したのだろうか。また、移動の結果として生じた接触と交流は、それぞれの地域にどのような影響を及ぼしたのだろうか。これらについて検討することにより、地域と世界をダイナミックに理解することができる。第三に、地理学が対象とするのは地域であり、地域のしくみ、すなわち地域構造を追求する。その際に焦点を当てるのは、地域構造が目に見える事物として表出した風景、すなわち景観である。景観を解釈することにより、地域性が理解できるわけである。そして第四に、地域は常に変化しており、過去の地域を復元することにより、現在の地域を考えるための材料が得られる。また、地域の変化を把握することにより、地域変化のメカニズムを説明することができる。

 このような伝統的な考察の枠組みに加えて、現代の地理学にとって重要なのは、グローバリゼーション、ローカリゼーション、サステイナビリティという視角である。

 人間の生活空間はもともとローカルな地域に限定されたが、交通手段が発達するにつれて、生活空間が拡大し、移動や交流が活発化した。19世紀後半以降、欧米世界の拡大に伴ってこうした動向はますます顕著になった。さらに20世紀末からは、情報通信技術の革命的な進歩によって、グローバリゼーション、すなわち世界の一体化が進行した。今日、交通手段と情報通信技術の発達に伴って活発化する移動や交流を検討し、世界の大きな動向とそのしくみを検討し、グローバルシステムが引き起こす影響について考えることは、地理学の課題である3)

 一方、人間の生活は地域の諸条件の束縛を受けながら繰り広げられる。従って、地域資源に根差した生活・文化を検討し、ローカルスケールの地域現象を記述し、考察し、説明し、地域にこだわって生活する人々と地域社会の現実の姿を描き出すことも地理学の課題である。これがローカリゼーションの視角である。同時に、それぞれの地域や地域現象がグローバリゼーションと密接に関わっているという認識も必要である4)

 グローバリゼーションとローカリゼーションの視角を踏まえて、地理学は地球と人類が直面する課題について取り組む。すなわち、地球と人類が直面する課題を認識し、諸問題を解決するための処方箋を提示し、持続的発展の形態を模索するために、地理学の視点と方法が活用される。これがサステイナビリティの視角である5)

 グローバリゼーションとローカリゼーションを一体化した現象としてとらえて、サステイナビリティを意識することにより、そしてこのような視角を伝統的な地理学の考え方の枠組みと組み合わせることにより、地域と世界の過去、現在、未来をダイナミックに読み解くことができる。このような地理学の考え方は、図1のように要約される。
 

2.砂糖の地理学

 それでは、地理学は砂糖にどのようにアプローチするのだろうか。

 歴史をさかのぼってみると、人間は甘さに対する欲求を満たすためにさまざまな原料や方法を用いた。今日、砂糖の主要な原料はサトウキビとてん菜である。サトウキビはニューギニア島原産であるイネ科の大型草本で、紀元前1万5000〜8000年頃に栽培化されたと考えられている。高温で湿潤な気候を好むサトウキビは熱帯・亜熱帯において広域に栽培され、栽培の北限は北緯35度あたりである。サトウキビを原料とする砂糖の生産は、紀元前500〜350年頃にインド北部で始まったと考えられている。

 一方、てん菜は地中海沿岸地域の原産で、紀元前6世紀に栽培化された。てん菜は温帯の中部から北部の、サトウキビが育たない冷涼な地域で栽培される。18世紀中頃にドイツ人がてん菜から砂糖を分離する方法を考案し、19世紀に入ると、ドイツを中心とした西ヨーロッパでてん菜を原料とする砂糖の生産が盛んになった。

 図2に示されるように、19世紀から今日に至るまで、世界の砂糖はサトウキビ糖回路とてん菜糖回路によって供給されてきた。ローカルスケールでは、サトウキビ糖回路はサトウキビ糖生産地域から、てん菜糖回路はてん菜糖生産地域から構成される。それぞれのサトウキビ糖生産地域は互いに競合関係にあるし、それぞれのてん菜糖生産地域についても同様である。ナショナルスケールでみると、国内に複数の砂糖生産地域を持つ場合があるし、サトウキビ糖地域とてん菜糖地域が併存する場合もある。さらにグローバルスケールでは、世界の砂糖市場において、サトウキビ糖回路とてん菜糖回路は競合関係にある。

 
 
 世界の砂糖生産の全体像を知るためには、それぞれの砂糖生産地域をローカルスケールにおいて詳細に検討することが必要になる。原料となるサトウキビやてん菜の栽培、製糖工場の建設と経営、労働力の調達、砂糖の製造と出荷は、いずれも地域に根差した活動である。すなわち、これが砂糖に関するローカリゼーションの地理学である。同時に、グローバルスケールにおいて、世界の砂糖生産の動向と砂糖生産地域間の関係を検討することも必要である。それぞれの砂糖生産地域は孤立して存在することはできない。それは砂糖生産地域が、砂糖という商品の供給において世界の消費市場と直結しているためである。これが砂糖に関するグローバリゼーションの地理学である。

 それでは、ローカルからグローバルまでを視野に入れた砂糖の地理学は、具体的には何に着目すればよいのだろうか。重要なのは四つの要素、すなわち資本、製糖工場、原料調達、労働力である。これらに着目することにより、世界の製糖地域を同一の考察の枠組みにおいて検討することができる。

 製糖工場の建設と原料の調達には大きな資本が必要であり、どのような資本が砂糖産業を可能にしたのだろうか。製糖工場では、製糖技術や製糖機械はどこからどのようにして調達されたのだろうか。製糖工場を継続的に稼働するためには、十分な量の原料を確保することが重要であり、原料はどのようにして、またどのような範囲から集荷されたのだろうか。さらに、サトウキビにしてもてん菜にしても、栽培や収穫には多量の労働力が必要であり、奴隷制、移民、出稼ぎ労働者などを含めて、国際的な労働力移動に関する理解が重要になる。

3.サトウキビ糖生産地域

 以上のような地理学の視点から、砂糖生産地域の展開を概観してみよう。

 人間が最初に手に入れた砂糖原料はサトウキビであった。ニューギニア島で栽培化されたサトウキビは、東南アジアを経由してインドに伝播した。そして、紀元前500年から350年にかけて、インド北部で製糖が行われるようになった。少なくともインドでは、砂糖の生産に関する文書記録が残されている。その後、サトウキビと製糖技術は東へと伝播し、中国各地に製糖地域が形成された。また、長い時間がかかったものの、西方の乾燥地域へも伝播し、灌漑(かんがい)によって乾燥という自然条件を克服することにより、ペルシアには600年頃に、さらにエジプトには700年頃に到達した。地中海地域は夏の乾燥と冬の低温のために、サトウキビ栽培にとって限界地域であったが、イスラーム世界が西方へ拡大するにつれて、イスラム教徒によってサトウキビ糖生産地域も拡大した。13世紀から14世紀にかけて地中海地域でサトウキビ栽培と製糖が繁栄した。

 サトウキビと製糖技術は、さらに大西洋の島々に伝播した。マデイラ諸島やカナリア諸島が砂糖生産の主な舞台となった。マデイラ島では急斜面に段々畑が造成され、灌漑水路が張り巡らされて、サトウキビ栽培が行われた。今日ではサトウキビはほぼ消滅し、マデイラワイン醸造用のブドウの栽培が中心であるが、サトウキビ時代の段々畑と灌漑は特徴的な景観として存続する(写真1)。マデイラ島で砂糖の商売に従事した経験を持つコロンブスは、新大陸への2回目の航海にサトウキビを持参し、それを1494年にイスパニョーラ島に導入した。大西洋の島々は、サトウキビと製糖技術が地中海地域から新大陸へ伝播するための飛び石としての役割を果たしたわけである。
 
 ポルトガルが植民地化した南アメリカ大陸のブラジル北東部では、開発が始まって間もない1520年頃に、沿岸地域でサトウキビ栽培と製糖が始まった。ここでは、エンジェーニョと呼ばれる小規模なサトウキビプランテーションが増加した。砂糖は地域経済の中心的な存在であり、エンジェーニョは社会と経済の単位となった。ブラジル北東部は間もなく世界最大の製糖地域へと発展し、その過程で形成された社会構造は、その後のブラジルの社会構造の基盤となった。すなわちそれは、大地主を頂点として、社会経済階層が明瞭に分化した、不平等な社会構造であった。一方、西インド諸島においても、プランテーション方式によるサトウキビ栽培と製糖業が発展した。砂糖経済が発展するにつれて、労働力の不足を補うために、アフリカから奴隷が導入され、砂糖経済を支える存在となった。こうして、ブラジルの大西洋岸地域から西インド諸島にかけて、プランテーションに基づく新大陸砂糖生産地域が形成された。

 サトウキビ糖生産地域では、19世紀後半から20世紀初頭にかけて近代化が進行した6)。すなわちそれは、小規模製糖工場から大規模中央工場へという、砂糖生産事業体の大規模化であった。ブラジルでは大規模中央工場はウジーナと呼ばれ、地元資本のほか、イギリス、フランス、ドイツから資本が投入された。こうして、16世紀から継続した小規模製糖工場(エンジェーニョ)から大規模中央工場(ウジーナ)へと生産の単位が大規模化する過程で、エンジェーニョの製糖機能は失われ、それはウジーナにサトウキビを供給するサトウキビ供給業者(フォルネセドール)になった。そして、プランテーション所有者を頂点とする明瞭な社会階層は維持され、大土地所有制は存続した。これは社会変革を伴わない近代化であった。その後もサトウキビとウジーナは、ブラジル北東部を特徴づける景観として存続することになった(写真2)。
 
 一方ハワイでは、19世紀初頭に小規模な砂糖産業が始まったが、19世紀中頃にアメリカ資本が進出して、企業的な砂糖産業への転換が生じた。製糖会社がサトウキビプランテーションを経営し、労働者を雇用してサトウキビを栽培したので、ポルトガル人、プエルトリコ人、中国人、日本人、フィリピン人などが労働者として流入し、多民族社会が形成された。日本人は、1885年に始まった官約移民制度のもとで、10年間にわたって契約労働者として流入した。日本人はハワイの砂糖産業において中心的な労働力であり、砂糖産業の労働者総数に占める日本人の比率は、1901年には実に70%に及んだ。今日、ハワイには大きな日系社会が存在するが、その主な要因は砂糖なのである。

 砂糖産業の形成に伴って、世界各地で人口移動が発生した。西インド諸島や英領ギアナでは、インド人移民が砂糖産業に重要な貢献をした。キューバでは、コロノと呼ばれたサトウキビ生産者がサトウキビの供給量の8割を生産した一方、製糖工場を経営したのは圧倒的にアメリカ人であった。こうして、キューバは世界の主要な砂糖生産地域へと発展した。今日でも砂糖の景観は細々ながらも存続している(写真3)。
  
 サトウキビを原料とする砂糖産業の近代化は、20世紀初頭までには実現した。世界のサトウキビ糖生産量の推移を見ると(図3)、1890年代から1900年代にかけて、年による変動を経験しつつも、生産量が大幅に増加したことが分かる。前述のように、製糖工場の近代化と大規模化は、砂糖生産の拡大を促進した。
 
 1910年頃のサトウキビ生産の中心をなしたのは、英領インド、キューバ、ジャワ島、ハワイ、米国南部、プエルトリコ、台湾などであった(表1)。サトウキビ糖回路は熱帯から亜熱帯にかけて展開し、各地でサトウキビが栽培され、製糖工場で砂糖が生産された。欧米の資本が大規模工場の建設に主導的な役割を果たし、サトウキビプランテーションの労働力として、グローバルに移動する移民が砂糖生産を支えた。
 

4.てん菜糖生産地域

 長い歴史を持つサトウキビ糖生産地域と比べると、てん菜が砂糖の有力な原料として登場したのは19世紀のことであり、てん菜を原料とする砂糖産業は、サトウキビとは異なる展開をみせた。図3から明らかなように、世界の砂糖生産においてサトウキビは長い間優位を維持し続けたが、19世紀を通じててん菜糖生産量は漸増し、1880年代に入るとてん菜糖生産量がサトウキビ糖生産量を上回った。てん菜糖産業の中心は、ドイツを中心とした欧州であり、欧州は砂糖の輸入地域から輸出地域へ転換した。

 ドイツで誕生したてん菜糖生産は欧州各地に導入され、てん菜糖生産地域は欧州全域に広がった。表1から分かるように、1910年頃には、ドイツを中心に、ロシア、オーストリア・ハンガリー、フランス、ベルギー、オランダ、イタリア、スウェーデンなど、欧州がてん菜糖産業の中心であった。てん菜は欧州から温帯の各地に伝播し、新しいてん菜糖生産地域が形成された。日本にも明治時代に入っててん菜が導入され、北海道にてん菜糖生産地域が形成された。米国でもてん菜糖産業が発展した。

  欧州から米国にてん菜と製糖技術が最初に導入されたのは1830年代であったが、それから半世紀の間はてん菜糖産業が確立することはなかった。政府が関与して研究開発に関する試みが行われ、米国型てん菜糖産業が確立したのはまさに1900年代のことであった。米国のてん菜糖生産は、大規模工場、広域にてん菜を運搬する鉄道の建設、西部の乾燥地域でてん菜を栽培するための灌漑事業などによって特徴付けられた。また、てん菜種子、製糖技術、労働力、資本はいずれも地域外から導入された。

 温帯の作物であるてん菜は、気候条件の点では、米国南部を除いて広域に栽培することができる。ところが東部や中西部では、てん菜は農民から敬遠された。トウモロコシと栽培カレンダーが競合するため、家畜用の飼料として欠かすことができないトウモロコシの栽培が優先されたわけである。また、腰をかがめて行う間引き、除草、収穫といった手作業は農民にとって大きな負担であった。その結果、灌漑の進展に伴って、乾燥した西部がてん菜栽培のおもな舞台となった。20世紀初頭には、コロラド州、ユタ州、アイダホ州、カリフォルニア州に主要なてん菜糖生産地域が形成された。

 米国西部のてん菜糖生産地域の形成において、移民が重要な役割を演じた。例えば、ユタ州とアイダホ州ではモルモン教会が積極的にてん菜糖事業に投資したし、灌漑農民として知られたモルモン教徒はてん菜栽培の中心となった。カリフォルニア州では、ドイツ人移民のクラウス・スプレックルズがサンフランシスコのビジネスで成功し、ハワイ産の粗糖の精糖事業に進出した。さらに、彼は大規模製糖工場を建設し、ドイツから機械や技術を導入しててん菜糖事業を推進した。また、フランス人移民のヘンリー・オックスナードは、南カリフォルニアのてん菜糖産業に主導的な役割を果たした。なお、オックスナードは都市の名称として記憶されている。また、スプレックルズの名前を冠した製糖会社は、カリフォルニア州南端部のインペリアルバレーで操業を続けている(写真4)。
 
 コロラド州では、ドイツ人移民の実業家チャールズ・ブッチャーが、鉱山開発事業の衰退を背景に、てん菜糖産業に投資した。ニューヨークで砂糖精製会社を経営した、ドイツ系三世のヘンリー・ハブマイヤーも西部のてん菜糖事業に投資した。こうして、コロラド州は米国最大のてん菜糖生産州に成長した。

 てん菜糖産業の形成に伴って、労働力の移動も活発化した。コロラド州で中心的な労働力となったのは、ロシア系ドイツ人であった。彼らは、18世紀後半にドイツからロシアのヴォルガ川流域に移住した人々の子孫であり、1世紀にわたってドイツ系文化を維持した後、ロシアの迫害を受けて、南北アメリカの草原地域に再移住した人々であった7)。ロシア系ドイツ人は、てん菜農場の労働力として、またてん菜農場の経営者として、てん菜糖産業の進展に寄与した。

 また、日本人移民の役割も重要であった。コロラド州、ユタ州、カリフォルニア州では日本人はてん菜農場の労働者として、また借地農として、製糖工場へのてん菜の供給に貢献した。すなわち、日本人の移民史においててん菜糖産業の意義を検討することも興味深い課題である8)。また、季節移動労働力として、メキシコ人の役割についても注目する必要がある。

5.米国の砂糖生産地域

 世界の砂糖生産地域を展望すると、米国は興味深い事例である。というのは、サトウキビ糖生産地域とてん菜糖生産地域が国内に併存するからである。南部にはサトウキビ糖生産地域が形成されたし、西部にはてん菜糖生産地域が形成された。さらに、米国資本が早くから海外に進出し、国内と海外の砂糖生産地域をめぐって利権が複雑に絡み合った。西インド諸島から輸入された粗糖は、東部の精糖工場で商品化された。

 米国では19世紀末からたびたび関税法が施行・改定されたが、砂糖は関税法の影響を受けた。1890年マッキンレー関税法、1894年ウィルソン・ゴーマン関税法、1897年ディングレー関税法、1913年アンダーウッド・シモンズ関税法などである。さらに、1934年砂糖法が施行されると、生産割当制、関税、価格保証金を組み合わせることにより、砂糖の極端な価格の低下を抑える保護政策が実施された。政府の統制下で砂糖事業の安定化が図られ、砂糖生産地域は持続した。

 こうした国家政策が展開する一方で、砂糖生産地域間の関係は変化していった。1860年代には、南北戦争によって南部のサトウキビ生産地帯は荒廃した一方、ハワイのサトウキビ糖産業が発展を始めた。1874年のアメリカ・ハワイ互恵条約の締結により、ハワイから米国への輸出が無関税の取り扱いを受けた。ハワイ革命(1893年)は砂糖生産者による米国へのハワイ併合運動を意味し、結局、1898年にはハワイは米国に併合された。同じ頃、欧州は、てん菜糖産業が発展したことにより、砂糖の輸入地域から輸出地域に変化した。その結果、欧州に砂糖を供給したキューバやフィリピンは、欧州市場を失い、米国への輸出に活路を開いた。

 1910年頃の砂糖生産地域を要約した表1を見ると、米国はサトウキビ糖においてもてん菜糖においても、世界の主要な砂糖生産地域の一つであることが分かる。ただし、国内の砂糖生産地域と海外の砂糖生産地域は、複雑に絡み合っていたわけである。

  1910年代以降、砂糖生産は激動の時代を迎えたことが推察される。世界の砂糖生産の動向を見ると(図3)、てん菜糖の生産は第一次世界大戦の影響を受けて著しく落ち込んだ一方、サトウキビ糖生産量は増加を続けた。製糖工場の大規模化や技術革新、砂糖生産地域の拡大などによって、世界の砂糖生産は増加した。1940年代以降の砂糖生産の動向を追っていけば、さらなる変化が把握できるだろう。

 米国では、国内の砂糖産業の維持に貢献した砂糖法が1974年に廃止され、生産割当制や政府による直接的な補助金の供与は行われない政策へと移行した。それ以降、砂糖産業は縮小していき、衰退が進行したてん菜糖生産地域では、製糖工場がそのまま廃墟と化した姿をよく目にする9)。それはまさにかつて栄えたてん菜糖産業を記憶する産業遺跡である(写真5)。一方、そのような地域においてもてん菜を栽培する農民が協同組合を組織し、製糖工場を経営する事例も見られる(写真6)。また、ミシシッピ川下流部では、砂糖生産が継続し、サトウキビ栽培と製糖業が行われている(写真7)。
 
 
 

おわりに

 私が砂糖に関心を持つきっかけとなったのは、1980年代にブラジル北東部の開発と土地利用に関する共同研究に参加したことであった。海岸地域にはサトウキビ畑が広がり、ウジーナと呼ばれる製糖工場がところどころにあった。収穫期には、普段は静かな農業地域が活気に満ち溢れ、サトウキビを絞った甘い匂いが漂っていた。少し内陸に入ると、ピンガあるいはカシャーサと呼ばれるサトウキビ焼酎を製造する小さなエンジェーニョが稼働し、出来上がった酒はポリタンクで出荷され、地元住民の需要を満たしていた(写真8)。また、少し大きな蒸留所では、瓶に詰めて、独自のラベルを貼って出荷していた(図4)。
 


 一方、米国のグレートプレーンズで灌漑農業と食肉産業の調査をしていた時に、コロラド州の地図にシュガーシティという地名を見つけた。現地に出かけてみると、そこでは1960年代までてん菜が栽培され製糖工場が操業していたことが分かった。これがきっかけとなって、米国西部のてん菜糖産業について調べるようになったわけである。

 本稿でみた砂糖生産地域はほんのいくつかの事例であり、世界にはさまざまな砂糖生産地域が存在する。そして、世界の砂糖生産地域はダイナミックな変化を経験してきた。地理学の視角で世界の砂糖生産地域にアプローチすることにより、地域や国家や世界に関する理解が深まることだろう。
参考文献

1)矢ケア典隆(2017)「砂糖の地理学」日本大学文理学部編『知のスクランブル―文理的思考の挑戦』pp.179-191.筑摩書房
2)矢ケア典隆(2018)「甘さの地域構造を探る―砂糖をめぐるグローバリゼーションとローカリゼーション―」『地理空間』11(1)pp1-17.
3)矢ケア典隆、山下清海、加賀美雅弘編(2018)『グローバリゼーション―縮小する世界―』朝倉書店
4)矢ケア典隆、菊地俊夫、丸山浩明編(2018)『ローカリゼーション―地域へのこだわり―』朝倉書店
5)矢ケア典隆、森島済、横山智編(2018)『サステイナビリティ―地球と人類の課題―』朝倉書店
6)矢ケア典隆、斎藤功(1992)「ブラジル北東部ゴイアナ川流域における製糖工場の展開とサトウキビ集荷県の空間組織」『地理学評論』65A pp.17-39.
7)矢ケア典隆(2018)「グレートプレーンズのロシア系ドイツ人と文化の継承」矢ケア典隆編『移民社会アメリカの記憶と継承―移民博物館で読み解く世界の博物館アメリカ―』pp.162-184.学文社
8)矢ケア典隆(2019)「アメリカ合衆国コロラド州サウスプラット川流域におけるテンサイ糖産業」『歴史地理学』61(3) pp.1-33.
9)矢ケア典隆(2017):「砂糖工場の廃墟―アメリカ西部で繁栄したテンサイ糖産業の記憶―」『E-journal GEO』12 pp.294-300.
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