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てん菜糖業の始まり

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最終更新日:2020年8月11日

てん菜糖業の始まり

2020年8月

     

農林水産省 政策統括官付地域作物課 価格調整班精製糖係 (たか)(はし) (りょう)
地域作物第1班甘味資源作物調整指導係 金井(かない) (のぶ)(たか)

 
 
 

 
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【要約】

 農林水産省では、平成30年10月から、砂糖に関する総合的な情報サイトを開設し、砂糖の正しい情報を提供し、砂糖関連業界による取り組みと連携しながら、砂糖の需要、消費の拡大を図る「ありが糖運動」を展開してまいりました。
 
 2年目の展開として、「ありが糖運動」のロゴマークの決定、「ありが糖運動」SNSの開設などの取り組みを行っており、今後とも「ありが糖運動」の趣旨に賛同いただけるパートナーの方を募集し、砂糖に関する正しい情報の提供、ロゴマークの普及などを通じて、砂糖の需要・消費の拡大を図っていきます。

1.欧州におけるてん菜糖業の草創期

(1)てん菜を原料とした砂糖の製造方法の確立

 はじめに、砂糖、甘味資源作物の生産を支える糖価調整制度をはじめとした農林水産行政において、砂糖関係者の皆さまの多大なるご理解とご協力をいただいておりますことに御礼申し上げます。

 砂糖はパン、飲料、菓子類、各種調味料など幅広い食品の製造に不可欠な基礎原料として利用されており、国民の摂取カロリー全体の約8%を占めるとともに(図1)食料自給率への寄与度も高く(図2)、脳と体のエネルギー源となることからも、国民生活上も大変重要な存在です。

 しかし、近年は、消費者の低甘味()(こう)や糖質制限嗜好などを背景に、砂糖消費量は減少傾向で推移しており、特に、ここ数年の減少幅は毎年約3万トン程度と大きくなっている状況です(図3)。

 一方、砂糖の原料となるサトウキビは、沖縄・鹿児島南西諸島において他に代替する作物のない作物であり、てん菜は北海道において輪作を構成する重要な作物です。これらの地域において、製糖工場も含めた砂糖産業は雇用と経済を支えており、砂糖消費が減少する中、その需要拡大を図ることは喫緊の課題と考えています。

 また、すべての砂糖産業を支える根幹となっている糖価調整制度に関しても、砂糖と競合関係にある加糖調製品(砂糖とココアを混ぜた調製品など)について、平成30年12月末の環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(TPP11〈CPTPP〉協定)発効に伴い、加糖調製品からの調整金徴収を開始するなど、制度の安定運営に向けた取り組みを行っていますが、制度が今後も持続的に機能していくためには一定の砂糖需要が前提になることから、この観点からも砂糖の需要拡大は重要と言えます。

 こうしたことから、農林水産省では、30年10月から、砂糖に関する総合的な情報サイトを開設し、砂糖の正しい情報を提供し、砂糖の需要・消費の拡大を図る「ありが糖運動」を展開しております。

 この運動は、砂糖の生産・流通に携わる8団体による「シュガーチャージ」をキーワードにした取り組みや、JAグループ北海道による「天下糖一プロジェクト」の取り組みなど、関係するすべての皆さまと意識を共有しつつ進めていきたいと考えています。

 

  

(2)ナポレオン帝政時代のてん菜糖業の振興と衰退

 フランスではアハルトによるてん菜の根中からの砂糖の発見に関して、その真偽を確認するための試験委員会が1799年5月20日に設置された。そして、慎重な実験の結果、アハルトの実験結果が疑う余地のないことが同委員会から1800年6月25日に報告された。その後、アハルトは1808年10月2日にてん菜糖の試験と研究結果についてのフランス語の報告を公表した。1800年にアハルトの方法についての最初の報告を書いた化学者のドゥジューは、1809年10月9日にフランス科学アカデミーに審査を申し立てたので、アハルトの実験がやり直された結果、1810年11月19日にドゥジューは化学者のバリュエルとともにてん菜糖は甘しゃ糖と主成分が同じであることを国立研究所に報告した。彼らは実験の結果として製造した2個のてん菜糖の棒砂糖を研究所へ提出し、そのうちの1個は内務大臣モンタリヴェを通してナポレオン(1769〜1821年:皇帝在位1804〜14、15年)へ1811年1月に手渡された。1811年3月25日にはフランスにおけるてん菜製糖の導入に関するナポレオンの最初の布告が発布された。布告では3万2000ヘクタールの土地でてん菜を栽培し、てん菜製糖の教育のために6カ所の実験学校を建設することになったが、てん菜種子の不足のため実際には6785ヘクタールで栽培されたに過ぎず、そのうえ工場が少なすぎたため、収穫したてん菜をすべて処理することができなかった。しかし、ナポレオンの布告はてん菜糖業振興の契機となり、製糖工場経営者たちはアハルトの作業法を学び、教えを仰ぐために彼の居住地のクネルンへ足しげく通うことになった。その結果、ボヘミアのすべての製糖工場経営者は、アハルトの弟子であると言われた。プロイセンの化学者ヘルムシュテットは1796年当時、カエデ糖の実験を行っていたが、1811年には『てん菜からの砂糖と利用できる糖蜜の実用的・経済的な製造ならびに同じもののその他の利用のための手引書』を作成し、てん菜製糖の推進者となった。さらに、クレーベ(ドイツ北西部)のM.F.S.ジンシュテーデンは1811年に『ヨーロッパの製糖に関するアハルト所長とフォン・コッピー氏の著作から抜粋し、ルール県の農民に捧げたてん菜栽培の簡潔な説明書』を公表し、てん菜栽培の普及に尽力した。


 歩み始めたばかりのてん菜糖業に関心を抱いていたナポレオンは、1812年1月2日にパリ近郊のパッシーのてん菜製糖工場を訪問し、その後1月15日にてん菜製糖に関する第2の布告を発布した。この布告では10万ヘクタールの土地でてん菜を栽培し、4つの国営工場を建設することで1812/13年期には合わせて2000トンの粗糖を生産する計画であった。しかし、フランスのてん菜栽培面積は計画を下回り、158工場が操業していたものの産糖成績は思わしくなかった。欧州世界に君臨したナポレオンは、1812年6〜10月のモスクワ遠征で大敗を喫し、1813年10月のライプツィヒの戦いでナポレオン軍はプロイセン・オーストリア・ロシアの同盟軍に敗れた。大陸封鎖の(しゅう)(えん)そしててん菜糖業の保護者としてのナポレオンの権威の失墜は、てん菜製糖工場経営者に致命的な打撃を与えた。1813年秋にはオーストリアの海港トリエステとフィウメ(現・クロアチアのリエカ)がフランスから解放されたので、海外からの粗糖が非常に安い価格で欧州に流入した。1814年5月末にはフランス軍がハンブルクを撤収したので、同地の精製糖業者たちは古くから経営してきた精製糖業を再開した。


 てん菜糖業の草創期にあり、国内需要を充足していなかったオーストリアとプロイセンのてん菜糖は、英国の甘しゃ糖には太刀打ちできず、両国の大部分のてん菜製糖工場は1814年には存続していなかった。同年にアハルトの弟子のフォン・コッピーが亡くなり、クラインのてん菜製糖工場(1811年の火災の後再建された)は息子のG.F.W.フォン・コッピーが後を継いだ。てん菜の処理量は、父フォン・コッピーの時代と比べれば多くはなかった。1821/22年稼働期の後、彼は製糖を止め、てん菜種子の品種改良に取り組んだ。


 アハルトの1818年12月の報告によると、1807年の火災で焼失したクネルンの工場はその後再建され、1810年から1815年まで操業し、1812年1月12日に開設された製糖の教育施設では理論的かつ実践的な授業が1814年まで外国人の38人の生徒に行われた。生徒は手紙で「アハルトの製糖の教育施設では徹底的に勉強させられた。アハルトは活発な人で、マルク(ブランデンブルク)の方言を話す学者の典型である」と記している。てん菜からの欧州の製糖の創始者アハルトは、1821年4月20日(68歳の誕生日の8日前)に亡くなり、クネルンで埋葬された。

2.米国におけるてん菜糖業略史

 「ありが糖運動」では、幅広い消費者の方々に、以下のようなメッセージを発信しています。

◆普段わたしたちが何気なく消費している砂糖。
甘さで食べ物のおいしさを引き立て、その摂取により、普段の生活のエネルギー源となるだけでなく、日々のストレスや緊張を和らげ、疲労回復効果をもたらすなど、わたしたちは日常生活のさまざまな場面で砂糖の恩恵を多分に享受しています。

◆仕事や勉強で集中したい時に砂糖でエネルギーをチャージしたり、また、疲れを感じた時に甘味でちょっと休憩してリフレッシュしたり、ハレの日や友人、家族とのだんらんの機会に菓子やスイーツなどを贈ったり、持ち寄ったりして、笑顔(あふ)れる楽しいひとときを過ごしたり、自分自身にも、また、身近な人にとっても砂糖は幸福感やリラックス効果をもたらし、日々の生活や人々の心を潤します。

◆一昔前までは日常的になかなか手に入らない貴重品であった砂糖。さまざまな形でわたしたちの生活を豊かにしてくれるその効用に感謝しつつ、菓子やスイーツなどの砂糖産品の消費を通じて、こうした幸福感や感謝の気持ちを身近な人や大切な人と分かちあいませんか。

◆「ありが糖運動」では、砂糖に関する正しい知識の普及、砂糖の歴史や食文化、生産方法も含むさまざまな関連情報を提供しながら、わたしたちの生活を豊かにする砂糖の需要・消費拡大に取り組んでいきます。
 
このページに掲載されている情報の発信元
農畜産業振興機構 調査情報部 (担当:企画情報グループ)
Tel:03-3583-9272