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ベトナムの伝統的な砂糖生産を訪ねて(その1)

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最終更新日:2017年5月10日

ベトナムの伝統的な砂糖生産を訪ねて(その1)
〜失われつつあるベトナムの糖蜜〜

2017年5月

昭和女子大学国際文化研究所 客員研究員 荒尾 美代

【要約】

 近代的な製糖工場へサトウキビを運ぶトラックが通行できない地区では、糖蜜の製造などによる収入が農家の生計を支えていた。

はじめに

 日本は、江戸時代にベトナムから砂糖を輸入していた。ベトナムには、日本のみならず、世界と歴史的な関わりを持っていた砂糖文化がある。

 今、急速な経済成長を続けるベトナム。それに伴い、砂糖生産はどのような歩みを進めてきたか。筆者は、18年前に同国を訪ね、伝統的な砂糖生産を調査したが、その後どう変貌したか、現地を再訪して報告する。

 国際的・政治的・経済的な視点からは、調査情報部調査課「ベトナム砂糖産業の概要について」『砂糖類情報』(2008年6月号)1)と、調査情報部・植田彩「ベトナムの砂糖事情」『砂糖類・でん粉情報』(2013年10月号)2)に詳しくまとめられているので参照されたい。

 上記調査は、砂糖の輸入国だったベトナムが、輸出国に至るまでの経緯と状況をリポートしたものである。1990年代に入ると、ベトナムは経済成長に伴って国内の砂糖の需要が増加し、需要量の半分を輸入に頼っている状態だった。そこで、政府が1995年に国内の砂糖産業の振興を図る「Sugar Program」(注)を制定し、砂糖産業は急速に成長したという2)。また、1990年代半ばまでは、遠心分離器を使用せずに砂糖を製造する手工業的砂糖生産(handicraft)が中心であったとしている1)

 本稿は、近代的な工場(以下「ミル」という)で遠心分離機を使用して生産される砂糖ではなく、手工業的砂糖生産について扱うものである。筆者は、歴史的背景を踏まえた「伝統的な砂糖生産」について興味を持ち、国内外の伝統的な砂糖生産技術を見つけ出して報告してきた3)。ベトナムでも伝統的な砂糖生産は消失しつつある。そこで、18年前に行った調査は、まさに「伝統の記録」と考え、この度、広く公にする機会を頂戴した。またこの時期は、1995年に始まった「Sugar Program」が移行中で、手工業的砂糖生産からミルへの転換期にも当たっている。本調査は、1998年8月と翌3月に行ったものが中心で、2017年2月に再訪して「今」の様子を確認している。
 なお、本号から7月号までの3号に分けてお届けする。

(注)制定の目的は、(1)国内製糖産業の確立(2)農村地域の振興(3)貧困農民の救済−など。コメや野菜に比べ、肥沃な土地を必要としないサトウキビ栽培と、製糖工程を必要とする砂糖産業は、農村の自立的な発展、工業化を達成し、農民の貧困化を解決するものとされた。

1.ベトナム中部は歴史的に砂糖の産地

ベトナムでも、筆者は当時、(こう)()と呼ばれていたベトナムの中部に着目してきた(図1)。

図1 ベトナムの地図

 日本初の絵入り百科辞典『和漢三才図会』(1715年刊行)には、

(前略)白沙糖者、凡二百五十万斤、(中略)凡太寃為ニ極上一、交趾次レ之、(中略)黒沙糖、凡七八十万斤、(中略)交趾為レ上(後略)

と、交趾からの砂糖の品質は、白砂糖は大寃(たいわん)(現在の台湾)に次ぐ品質、黒砂糖は「上」として1番目に名が挙がっている。

 そして、ベトナム中部に位置する江戸時代の国際貿易都市ホイアンへは、朱印船貿易によって、日本から多くの商船が訪れていた。また鎖国後は日本人の渡航は禁止されたが、唐船貿易(中国だけでなく、アジア各国の船籍も含まれる)は江戸時代を通じて長崎で行われており、ベトナムのみならず東南アジアの産物が日本へ輸入されていた。

 江戸時代にベトナムに漂着した日本人も、国際都市ホイアンで白砂糖や氷砂糖が俵詰めされるところを目撃している。漂着民が日本帰国後に話したところによると、「私共の乗候船へも二千俵積み候、その他十七八艘の南京船何も買積候、安南国 (注)の産物は砂糖第一、大分出ると相見え申候」と述べている4)。日本行きの南京の船もホイアンで砂糖を購入して船に積んでいたという観察の報告は、とても興味深い。このようにベトナム中部は、砂糖の産地として名声を帯びていた地なのである。

 西川(じょ)(けん)の『増補 華夷(かい)(つう)(しょう)(こう)』(1708年刊行)においても、はっきりと交趾土産として、「砂糖(白、黒、氷)、浮石糖、砂糖蜜」と紹介されるほど砂糖の産地としては有名であった(写真1)。交趾の土産は、固形の砂糖だけではなく、砂糖蜜もあった。「砂糖」と記述されているので、明らかに蜂蜜ではなくサトウキビを原料にして作られる蜜である。

(注)当時、ベトナムは「安南国」と言われていた。

写真1 西川如見『増補 華夷通商考』

2.徳川家康に献上された「白蜜」

 べトナムとの国交は、古くは徳川幕府、家康の時代にさかのぼる。慶長6年(1601年)夏に、ベトナム中部を支配していた(グエン)氏の国書を携えた商船が日本に来航した。この時の献上品に「白蜜拾(てい)(=つちへんに呈)」という記述がある5)

 ていとは、酒を入れるようなかめ(・・)のことで、それに入れられて献上されたとすると、粘性を持った液体状の蜜ということになろう。「白い蜜」とあるので、氷砂糖を作った後に残る蜜ではないだろうか。

 氷砂糖は、遠心分離機がない時代においても白砂糖から作られていた。すなわち、分蜜された砂糖から作られていたので、副産物として得られる蜜も着色がほとんどされていない蜜であったと考えられる(注)

 一方、サトウキビの搾り汁を煮詰めて作る糖蜜もある。不純物を物理的操作によって取り除くことができても黒色成分までは除去できないので、褐色あるいは黒色の蜜である。

 本稿は、この糖蜜の製造を手工業的砂糖生産工房(以下「工房」という)によって行っている農家の事例を中心に紹介する。調査地は、ベトナム中部でも歴史的に最大の砂糖生産地として挙げられるクアンガイ省6)である(図1)。

(注)1999年3月に採録した手工業的氷砂糖の作り方は、「内外の伝統的な砂糖製造法(13)〜江戸時代の朱印船貿易、そして現代のベトナム〜」『砂糖類情報』(2012年7月号)で紹介しているので参照されたい。

3.ベトナムにおける伝統的な砂糖生産

(1)事例1

ア.工房の拡充
 ブイ・トリさん(58)はサトウキビとコメを栽培する農家で、工房のオーナーでもある。父の職業を受け継いで、30年間糖蜜を製造している。

 1998年まで水牛を動力としてサトウキビを圧搾していたが、翌年からディーゼルエンジンの機械に変え、釜も新しくした。

 聞き取りによる工房の工事費用は以下の通り()。断りが無い限り、為替レートは1ドン=0.008円(訪問した当時〈1999年3月〉のTTS相場の平均値)を使用した。
 なお、レンガとセメントは、煮詰める釜の土台作りに必要な材料である。
 

表 工房の工事費用

 これだけ投資するのは、(1)サトウキビを運ぶトラックが彼の畑まで来られないため、サトウキビをミルに売ることができない(2)糖蜜に対するニーズがある(3)圧搾されたサトウキビの搾り粕であるバガスは調理用の燃料に使うことができる―からだという。

 中でも、糖蜜のニーズがあることが大きい。糖蜜の販売による収入は、トラックが通行できない地区のサトウキビ栽培農家を支えているのである。

 実際、ここの工房を探し出すのに、車を降りて2時間ほど歩き回った。自転車やオートバイは通行可能だが、4輪車が入れない地区がまだまだあることを実感した。「Sugar Program」の恩恵が得られない地区の実情がそこにはあった。

イ.工房のシステム(利用概要)
 10月から翌3月にかけて糖蜜を製造する。工房が稼働するのは、週に平均4日ほどである(写真23)。

 ブイ・トリさんを訪ねる顧客には、糖蜜を購入する者の他に、糖蜜の製造を委託または工房の設備を借りようとするサトウキビ栽培農家もいる。工房の稼働概要は、次の通りである。

 糖蜜を作る作業は7時から17時まで行う。サトウキビを持ち込んだ農家は、ブイ・トリさんに対し完成した糖蜜220リットル当たり7万5000ドン(600円)を支払う。この金額は、サトウキビの搾り汁から煮詰める工程を行う2人の熟練工の人件費と工房の使用料金に相当する。ブイ・トリさんはサトウキビを煮詰める熟練工1人当たり1万7500ドン(140円)を支払っている。

 一方、サトウキビの圧搾を補助する女性たち6人の賃金(1人当たり1万5000ドン〈120円〉)は、サトウキビを持ち込んだ農家が負担する。工房の設備を借りて自ら製造する農家の場合、熟練工2人には朝・昼・夜の3食を、補助する女性6人には昼食のみを提供する。

写真2 釜と鍋。糖液が煮詰まってきている様子

写真3 出来上がった糖蜜をくみ上げる様子

(2)事例2

ア.実際の糖蜜製造の採録
 別の農家における糖蜜の製造事例を紹介しよう。こちらはサトウキビの圧搾に水牛の動力を使用して、圧搾機のローラーを回転させている。

 ター・ホアさん(64)は、栽培したサトウキビをミルやサトウキビの搾り汁を売る露天商に販売している他、自宅の庭に常設している工房で製造した糖蜜を販売して生計を立てている。

 糖蜜の製造は毎月20日間行う。しかし、1998年は大雨のため、10月と11月には糖蜜を製造できず、12月も数日間しか製造に当てる期間がなかった。

 糖蜜の販売価格は、季節により異なり、4月から12月までが1キログラム当たり3200ドン(26円)、1月から3月までが同3000ドン(24円)である。1トンのサトウキビから200キログラムの糖蜜が製造できるため、その量を1日で販売する。人件費を控除する前の1日当たりの売り上げ(4〜12月)は、64万ドン(5120円、3200ドン×200キログラム)になる。

 同氏は、圧搾する作業員と煮詰める熟練工を雇っている。工房には、3連垂直型の圧搾機があるものの、発電機がないため、近所の人から借りた水牛を圧搾機の周りを歩かせ、得た畜力によって、圧搾機のローラーを回転させている。

 水牛の使用料金は1日当たり1万ドン(80円)、サトウキビの圧搾などの補助で雇う4人の女性たちの賃金は1人1日当たり3万ドン(240円、2食付き)、煮つめる熟練工2人の賃金は同4万ドン(320円、3食付き)、食事を調理する料理人の賃金は同2万ドン(160円、3食付き)である。

イ.糖蜜製造の概要
 四つの釜の概観(写真4)とそれぞれの釜の糖液の移動手順を矢印で示した(図2)。

写真4 事例2の釜を焚き口側から見る

図2 事例2の釜の配置図

 工程を観察しながら、糖液の温度、pHおよびブリックス(屈折率)を測定した。使用した機器は、pH計はD-21S(堀場製作所製)、手持屈折計はN-1E、N-2E、N-3E(アタゴ製)である。工程は、以下の通り。

 (1)水牛を歩かせて3連垂直型の圧搾機を回転させる。採録日のサトウキビの品種はF56、310、PORI(注1)である(写真56)。 (水牛1頭目の圧搾汁は温度27度、pH5.60、ブリックス7.0%。水牛2頭目の圧搾汁は温度28度、pH5.30、ブリックス6.8%)

写真5 手前が釜で、奥に圧搾機のローラーを回す水牛が見える

写真6 サトウキビの茎をローラーの間に入れる人とそれを受け取る人を圧搾機の両側に配す

(2)圧搾汁はネットでこして釜1へ入れる(写真7)。

写真7 圧搾したサトウキビの搾り汁をネットでこして釜に入れる様子

 (3)釜1の圧搾汁が加熱されて約15分後に、焼いた赤貝殻を砕いた粉を入れ、浮いてくるあくはすくい取る(写真8)。

写真8 穴あきのお玉で、あくをすくい取る様子

 (4)釜2〜4に糖液を移動させながら煮詰める。
 
(5)あくを取りながら加熱1時間後(糖液に泡が立ってきて100度を超えたころ)、4種の葉(グァバ、ジャックフルーツ、スターアップル、その他これに類するもの)をすりつぶして搾った水溶液に、焼いた赤貝殻の粉とピーナツオイルを加えた液を釜2〜4に入れる。グリーンがかった透明感を出すためという(注2)
 (6)釜3を釜2と4に分け入れ、加熱開始から3時間15分で糖蜜が出来る(釜2の糖蜜の温度は105度、pH5.28、ブリックス74.0%、釜4の糖蜜の温度は105度、pH5.22、ブリックス74.0%)。

 
完成した糖蜜は、主にゼリーシュガー(ドン・デオ)を作る業者に販売される。

(注1)聞き取りに基づく品種。NCo310POJの可能性がある。
(注2)今回これらの葉の水溶液を使用したのは、糖蜜を製造した残りの糖液をさらに煮詰めて、円すい形の砂糖(ドン・ムン)を作るためである。ドン・ムンの作り方は7月号で紹介する。

(3)事例3

ア.ゼリーシュガー作り
 糖蜜を仕入れて自宅などでさらに煮詰め、ナッツ類を加えて缶に入れ、密閉して市場や菓子店へ卸すことを仕事にしている人々がいる。

 ボー・フンさん(33)の主なる仕事は、ゼリー状の茶色い水あめに似た缶入りの商品を販売することだが、3月は旬であるメロンも売る。

 フンさんの顧客は、小売店6〜7軒と市場関係者である。
 繁忙期は10月からテト休暇(注)にかけての時期で1日に100缶ほど売れ、収穫の季節を迎える3月、6月、10月も需要が高い。材料となる糖蜜製造の最盛期は10月から翌4月までである。糖蜜の販売価格は、10月から12月までの間は下がり(1リットル当たり3000ドン〈24円〉)、3月から9月ころまでは上がる(1リットル当たり5000ドン〈40円〉)。

(注)テトは、ベトナムの旧暦の正月に当たり、旧暦で数えるため年によって日付が異なるが、おおむね1月下旬から2月下旬の間。この日を含む前後は、公的機関や企業などが休みとなる。

イ.ゼリーシュガー作りの工程
 ボー・フンさんはこの日、ゼリーシュガー作りのために1キログラム4000ドン(32円)で仕入れた糖蜜をゼリーシュガーに加工し、容積270t入りの空き缶に詰めて顧客に1缶当たり3000ドン(24円)で販売する予定であった。

 作るところを見せていただいたが、約30分で糖蜜からゼリーシュガーが完成した。手順は、以下の通り。

 (1)糖蜜5リットルを鍋に入れて火にかける(温度32度、pH4.65、ブリックス74.0%)。
 (2)5分後、布に糖蜜を通してろ過する。
 (3)ろ過された糖蜜をさらに約25分間煮詰めていく(温度115度、pH4.05、ブリックス76.8%)。
 (4)水に糖液を浸してねばねばと手に付かなくなったら、火から下ろす(温度124度、pH3.89、ブリックス77.0%)。
 (5)糖蜜を10個の空き缶に流し込み、温度を早く下げるために缶を水に浸す(写真9)。

写真9 糖蜜を煮詰めて出来上がったゼリーシュガーを缶に入れる様子

 (6)糖蜜の表面に揚げたピーナッツを乗せる。
 (7)糖蜜がまだ温かいうちに、缶のふたをして密閉させる。

 この缶入りの商品は、市場や小売店で見かけることができる。ただし、穀物から作る水あめも同様に缶入りなので、区別が付きにくいので注意が必要だ。

おわりに

(1)2017年2月訪問時の概況

 前出、植田の調査では、「同国の砂糖生産には、遠心分離機にかけずに砂糖を製造する手工業的砂糖生産(Handicraft)がある。これにより生産された砂糖(Handicraft糖)は、2000/01年度に30万トン近く生産されていたが、2004/05年度にはコスト高の問題から18万トンと大幅に減少している」2)と、手工業的砂糖生産について減少していることが記されている。

 2017年における手工業的砂糖生産の生産量のデータは持ち合わせないが、2004/05年度の18トンからさらなる減少となっていることは想像に難くない。ベトナム中部で砂糖の有名産地であったクアンガイ省クアンガイ市の市場関係者が、工房の多くが閉鎖されたことを教えてくれた。

(2)ベトナム中部・クアンガイ市場

 国際貿易都市であったホイアンが位置するクアンナム省から南に位置するクアンガイ省のクアンガイ市場を18年ぶりに訪れた。数年前に焼失し、その後再建されたという市場は、コンクリート造りで、ゆったりとした空間になっていた。2階に上がると、いろいろな砂糖を扱っている専門店が7軒あった。

 ミルで作られたグラニュー糖は、白色と薄茶色のものがどちらも1キログラム当たり1万8000ドン(90円〈1ドン=0.005円、2017年2月末日TTS相場の値〉。以下同じ)、氷砂糖が同2万3000ドン(115円)、ゼリーシュガーが1缶当たり1万ドン(50円)だった(写真10)。

写真10 2017年2月のクアンガイ市場にて

 かつてはサトウキビの搾り汁を煮詰めた糖蜜から作られていたこのゼリーシュガーは、ミルで生産されたグラニュー糖から作られていた。着色するために、ミルの茶色っぽいグラニュー糖を使用するというケースと、白いグラニュー糖にモラセス(砂糖の精製工程で発生する糖蜜)を加えるという手法が認められた。わざわざ、茶色くするところが、「伝統の色」を引き継いでいると言える。

 18年ぶりに訪れたベトナムは、ダイナミックに変容していたが、いまだ「伝統」が息づいていることに安堵した。


1)調査情報部調査課「ベトナム砂糖産業の概要について」『砂糖類情報』(2008年6月号)独立行政法人農畜産業振興機構
2)調査情報部・植田彩「ベトナムの砂糖事情」『砂糖類・でん粉情報』(2013年10月号)独立行政法人農畜産業振興機構
3)「内外の伝統的な砂糖生産」「お砂糖いい話」『砂糖類情報』『砂糖・でん粉情報』(2011年3月号〜2013年2月号)独立行政法人農畜産業振興機構
4)林復斎ほか(1967)『通航一覧(復刻版)全八冊』清文堂出版、pp552
5)同上、pp482
6)ファン・ダイ・ゾアン“ホイアンとダンチョン”日本ベトナム研究会編(1993)『海のシルクロードとベトナム』穂高書店、pp309
このページに掲載されている情報の発信元
農畜産業振興機構 調査情報部 (担当:企画情報グループ)
Tel:03-3583-8713