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【巻頭言】 振れる市場と情報提供

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最終更新日:2012年7月25日

名古屋大学大学院 生命農学研究科 教授 生源寺 眞一

生源寺 眞一 
1951年愛知県生まれ。東京大学農学部卒業。農林水産省農事試験場研究員、北海道農業試験場研究員、東京大学農学部助教授、同教授を経て2011年から現職。これまでに東京大学大学院農学生命科学研究科長・農学部長、日本フードシステム学会会長、農村計画学会会長、食料・農業・農村政策審議会委員、国土審議会委員などを務める。現在、日本学術会議会員、公益財団法人生協総合研究所理事長。
「そう言えば、そんなこともありましたね。何年前でしたかねえ」

喉元過ぎれば何とやらで、この国の多くの人々にとって、食料価格の高騰は過去の出来事のひとつになったようだ。思い起こしてみれば、2007年・08年の穀物や大豆の価格上昇は、ピーク時にはマスコミが毎日のように報道するホットなニュースであった。食品の小売価格改定の動きが報じられ、納豆のように、ワンパックの中身の減量による実質的な値上げが話題になったこともある。
5年ほど前の出来事として過去形で述べたわけだが、実を言えば、その後も国際的な食料価格の高騰が生じている。「実を言えば」などと偉そうな口をきいたが、本誌の読者諸賢であれば、近年の食料市場の動向をある程度ご存知の向きも多いはずである。FAOの食料価格指数は2011年平均で228に達し、2008年の記録(200)を更新する結果となった(2002〜04年=100)。

2011年の食料価格をメディアが取り上げなかったわけではない。穀物の価格上昇が報じられたし、上げ幅の大きかった砂糖やコーヒーも話題になった。ただ、2007年・08年のように各社が連日競って報道する事態にはならなかった。ふたつの要因がある。ひとつは価格指数がピークに達した2011年2月の直後、東日本大震災が発生したことである。当然のことながら、マスコミは震災報道一色となった。もうひとつは、前回の高騰時に比べて為替レートが円高に振れていたため、日本国内への影響がかなり緩和されたことである。2008年に1ドル110円前後であった為替相場が、近年は70円台後半に入り込む水準にある。

このように国内へのインパクトについては固有の事情が働くこともあるが、世界の食料市場が様変わりしたことは間違いない。振り返ってみれば、1990年代の前半、世界銀行や米国農務省は穀物の需給が緩和基調にあるとする将来予測を公表した。事実、96年前後に一時的な上昇はあったものの、穀物の価格はむしろ低迷気味と言ってよい状態が続いていた。ところが、ここへきて需給が折り合う価格レベルが上方にシフトし、しかも価格が大きく振れる不安定な状況が生まれている。

途上国の経済成長による需要の増大や穀物生産性の伸び率の鈍化といった需給逼迫の基礎的要因に加えて、投機資金の活発な動きや輸出禁止措置の発動など、価格の振れ幅を拡大する要素が指摘されている。このあたりの詳細な分析は専門家に委ねるとして、トレンドの変化と変動幅の拡大が同時に生じているところに、問題の難しさがある。もう少し踏み込むならば、振れ幅の拡大のほうにやっかいな問題がある。

トレンドとしての変化であれば、それがよほど急勾配のものでない限り、人間の社会は適応することができる。事態を適確に理解し、冷静に事態に対処することが可能なはずである。人間の知恵が働くために決定的に大切なのは時間であり、心の余裕である。ところが、予見不能なかたちで不規則に、しかも大幅に振れる価格は、そんな人間の適応力を無力化してしまう。
食料をめぐる不安定な状況を直視するとき、ふたつの取り組みの重要性が増している。ひとつは国際市況の国内への影響を緩和することである。この点で農畜産業振興機構はキープレーヤーの一角を占めている。ここで詳述する必要はあるまい。ただ、潮目が変わった今日の食料市場への対処について、従来の枠組みのままでよいのかどうか。あるいは経済連携問題の議論とも関わって、国境措置とバッファー機能の組み合わせとして、どのようなかたちがありうるのか。こうした論点について、やや長期の時間視野からの吟味を怠るべきではなかろう。

重要性を増しているもうひとつの取り組みが、質の高い情報の提供である。振れ幅の拡大した市場の動向に関して、しばしばメディアの報道は巷の不安感を煽り立てる効果を持つ。そもそも上昇局面のみがニュースとなることで、先行き不安な出来事との印象を与えがちである。残念ながら、耳目を引くキャッチコピーや過剰な形容句が添えられることも多い。

情報はそれ自体は真正のものであっても、提供のされ方がある種のメッセージを伝える。いま心掛けるべきは、近年すでに2回経験している食料価格高騰の状況を含め、少し長い時間軸のもとで情報を伝えることだと思う。そんな情報に接するならば、人々は学習することができる。また、トレンドについての認識を共有することを通じて、中長期の取り組みに向けた土台づくりにもつながる。
本誌の役割のひとつは情報の提供である。ただし、多くの国民が直接に本誌を目にするわけではない。国民に情報を提供するポジションにある人々や組織に対する情報発信、これが『alic』の役割である。だとすれば、情報そのものの提供とともに、情報の持つ意味合いや背景事情についての情報提供にも十分な配慮が必要であろう。
このページに掲載されている情報の発信元
農畜産業振興機構 企画調整部 (担当:広報消費者課)
Tel:03-3583-8196