[本文へジャンプ]

文字サイズ
  • 標準
  • 大きく
お問い合わせ
alic 独立行政法人農畜産業振興機構
消費者コーナー 「食」の安全・安心や食育に関する情報、料理レシピなど

ホーム > 消費者コーナー > 広報誌 > 【トップインタビュー】地域の特産品を盛り込んだ郷土色豊かな駅弁 〜駅弁は旅の楽しみの一つ〜

【トップインタビュー】地域の特産品を盛り込んだ郷土色豊かな駅弁 〜駅弁は旅の楽しみの一つ〜

印刷ページ

最終更新日:2016年3月3日

一般社団法人日本鉄道構内営業中央会 会長 (株式会社崎陽軒 取締役社長) 野並直文 氏に聞く

野並氏

日本で生まれた駅弁、車窓の景色を見ながら家族や友達と一緒に食べた思い出のある人も多いのではないでしょうか。そんな駅弁の振興に取り組んでいる一般社団法人日本鉄道構内営業中央会の野並直文会長にお話を伺いました。

一般社団法人日本鉄道構内営業中央会について教えてください。

 一般社団法人日本鉄道構内営業中央会(以下「中央会」という。)は、JR各社(設立当時は国鉄)における駅の構内で、旅客に対する駅弁、飲食、雑貨などの販売サービスの向上を目的として、昭和21年8月に設立されました。現在では約100社が加盟しており、構内での旅客営業の進歩改善に資する業務や駅弁文化に関する広報活動などを実施しています。

具体的には、どのような活動をされているのですか。

 駅弁を広く親しんでいただくため、また、商品の安心・信頼をPRするものとして昭和63年に「駅弁マーク」を制定しました。駅弁の定義っていうのがなかなか難しいんですよね。JRの駅で売っているのが駅弁、じゃあ、私鉄の駅で売っているのは駅弁じゃないのかと、これもなかなか難しい。広義には「駅構内で販売される弁当」ということになると思いますが、最近では、駅構内でコンビニ弁当やいろいろな弁当が数多く販売されている。どこまでが駅弁なんだということをはっきりさせるため、当中央会では駅弁マークを商標登録して会員が製造・販売する駅弁に限定使用しています。日本情緒あるこのマークは、駅弁箱をそのままイメージし、十文字の弁当仕切りは「和」の象徴、赤丸は日の丸弁当と人々の交流の暖かさを連想させるものとなっています。
 また、平成5年には、4月10日を「駅弁の日」と定めました。この時期は、花見などの行楽シーズンで弁当が多く食べられる時期であり、数字の「4」と漢数字の「十」を組み合わせると弁当の「弁」、10日の「とう」は弁当の「とう」に通じることから決めました。駅弁の日には、各地域の老人ホームなどの福祉施設をみんなで訪問して、駅弁を食べてもらっています。施設のお年寄りは、旅に行く機会が持てない方が多いので、せめて駅弁でも食べてもらって旅の雰囲気を味わってもらおうと取り組んでいます。

駅弁マーク
駅弁マーク

弁当や駅弁の誕生について教えてください。

 金沢の弁当屋には、安土桃山時代の弁当箱が残っています。その当時から、花見や紅葉狩り、芝居などのレジャーに出かけて、弁当を食べる習慣が根付いていました。幕の内弁当は、芝居で舞台の幕が下り、次の場面で幕が上がるまでの間に食べることからそう呼ばれるようになったもので、こういう習慣を背景に弁当の文化は発展してきました。
 我が国での最初の鉄道は、明治5年に新橋〜横浜間で開通しました。この時の乗車時間は53分だったそうですが、その後は日本各地での鉄道の開通や延伸によって、乗車時間が長くなるにつれて駅弁が必要不可欠となっていきました。「最初の駅弁はどこ」と尋ねられるのですが、明治18年の東北線宇都宮駅で白木屋がにぎりめし2個を竹の皮に包んで販売したのが最初と言われていますが、これには諸説があり確証はありません。最初はおにぎりが主流でしたが、明治22年に山陽線姫路駅で折箱に入れた幕の内弁当が販売されてから、かまぼこ、玉子焼き、焼き魚の三種の神器の入った幕の内弁当が駅弁の主流となっていきました。明治30年代は東京〜大阪間が急行で16時間かかるなど長距離列車の誕生で、何回も似たようなお弁当では飽きてしまうとのことで、変わった弁当を食べたいとの要望から、地域の名産品を使った特徴のある駅弁が、各地で売り出されました。こうして駅弁文化が発展してきたのです。

駅弁文化とは、どのようなことですか。

 これは、ある保険会社の方から聞いた話ですが、お昼に弁当を食べてから午後の会議に入るというのが恒例化していたそうです。そんなある日、担当課長が百貨店の「駅弁大会」で様々な種類の駅弁を買って会議室に持ち込んだところ、今までは黙々と会話もなく食べていた社員たちが、食べ始める前からこの駅弁は自分の郷里のだとか、家族で旅行に行った時に食べたとか、この駅弁は食べたことないので今度食べてみたいなどと会話が弾んで、人と人とのコミュニケーションが生まれてとても楽しい雰囲気の昼食となり、その勢いで午後の会議も今まであまり発言したことのない社員も発言したり、大いに盛りあがった会議になったそうです。このように駅弁というのは、単なる弁当ではなく、人と人との思い出、未来をつなぐ不思議な力を持っているものだと思います。

駅弁の販売方法の変化について教えてください。

 昔は、立ち売りといって、列車が到着するとお客さんは、窓から首を出して「おーい、弁当屋こっちだ」と、弁当やお茶を積んだ肩ひも付きの木箱、“おかもち”と呼んでましたが、それを首から掛けた立ち売り人を呼んで駅弁を買うんです。今と違って、列車の窓が開いて、停車時間も長かったんですね。しかし、新幹線などの登場で窓が開かなくなり列車の停車時間も短くなった。車内販売も結構ありますが、駅の改札の脇とかホームでの店舗販売が主流となっていきました。
 また、昭和41年からは百貨店などの駅弁大会の開催、最近ではJRの東京駅や新大阪駅でも全国の駅弁を取り扱う店舗が出来るなど、JRは人口減の中で鉄道収入だけでなく生活サービス産業にも力を入れるようになり、駅弁の売り方も変わってきています。

駅弁は、冷めても美味しいが前提と思われますが、どんな工夫をされているのですか。

 各社で様々な工夫をしていると思いますが、弊社は、ご飯の炊き方も工夫しています。蒸気で蒸すことにより、おこわのような食感が生まれ冷めても美味しいご飯になりました。また、弁当容器は薄い経木(きょうぎ)を使うことで、水分がうまく調節され、おひつと同じ作用でご飯をおいしく召し上がれます。駅弁は時間が経ってから食べることが多く、衛生的なこともとても重要で、鱒(ます)の押寿司など笹の葉にある殺菌作用を利用した包装もあります。また、温め直して食べる工夫として、石灰石と水の化学反応を利用した加熱式容器なども誕生しています。
 一般的な焼売(シュウマイ)は肉を原料としており、冷めるとどうしても独特の臭みが出てきたり、硬くなったりします。折詰にして売るには、冷めてもおいしくなくてはならないのです。でん粉を使うのも、程よく食材同士をつなぎ合わせ、肉や野菜の旨みをとじ込める工夫のひとつです。特に弊社のシウマイは、配合の試行錯誤を繰り返し、豚肉とホタテ貝柱を練り合わせることで、冷めてもおいしいシウマイを完成することができました。

駅弁は、海外にもあるのですか。

 台湾にも駅弁はありますが、これは日本から輸出されたもので、駅弁の発祥は日本です。欧米は、列車食堂の文化が中心で、駅で販売されているのはどこにでもあるファーストフードで、日本のように各地域の特産品を使った弁当は無いようです。
 日本の工業デザイナーの栄久庵憲司(えくあんけんじ)氏の言葉に「幕の内弁当の美学」という言葉があります。お茶の世界で床の間に一輪の花を挿して宇宙を表現するとか、小さな坪庭とか、狭い物の中に、大きなものを表現するのが日本人は得意です。駅弁には小さな弁当箱に、日本の四季や各地域を感じさせる特産物を使って郷土色豊かに、いろいろなおかずやご飯をバランスよく、彩りよく詰めたものがたくさんあり、それはちょっとした懐石料理です。

地域の特産品や郷土色豊かな駅弁について教えてください。

 日本の地域的な特徴を見ると、北海道はウニ・イクラなど海産物、東北は鶏飯・牛肉、関東は椎茸・筍など山の幸、北陸は鱒・カニ、東海はウナギ、近畿中四国はアナゴ・牡蠣、九州は黒豚・鶏など、地域の名産品を使った弁当が各地で販売されていて、郷土色も豊かです。

国産の農畜産物について感じることがありましたら教えてください。

 国産の農畜産物は、安全で安心して使えます。また、各地域で特徴のあるものを生み出してほしいと思います。牛肉などのブランド化した食材を駅弁の名前に使ったものも増えています。これは、お客さんが求めているからです。各地域で独自の品種を開発し、ブランド化してお客さんが興味を持てば、我々もそれを使っていきたいと思います。

駅弁業界としての課題などについて教えてください。

 駅弁業界として、日本人の心に響く地方色豊かで季節性あふれる商品を開発することが重要だと考えています。安い、美味いものを良いサービスで提供していくことは当然のこととして、心に触れる、思い出に残る商品を提供していきたい。コンビニ弁当やデパ地下弁当、最近では空港で売られる空弁(そらべん)、高速道路のサービスエリアで売られる速弁(はやべん)など競争相手も増えてきたので、駅弁としての特徴が出せるよう頑張りたい。
 家族で旅行に行った時にあの駅の駅弁を買って、こういう景色を見ながらみんなで食べた、お土産の駅弁を食べると買ってきてくれた人を思い出す、といったように、心に残る駅弁を作り、駅弁業界を盛り立て、駅弁文化を継承していきたいと、心から願っています。

一般社団法人 日本鉄道構内営業中央会 会長(株式会社崎陽軒 取締役社長)野並 直文 氏

昭和24年   横浜生まれ
昭和46年   慶應義塾大学商学部卒、昭和55年同大学院経営管理研究科修了
昭和47年   株式会社崎陽軒入社、昭和54年取締役に就任、
         平成3年代表取締役社長に就任、現在に至る。
平成25年7月 一般社団法人 日本鉄道構内営業中央会会長に就任
         現在、横浜商工会議所副会頭。
         公益社団法人横浜中法人会相談役(平成23年5月〜平成27年6月会長)。
         横浜ロータリークラブ会員(平成21年7月〜平成22年6月会長)。
         公益財団法人神奈川フィルハーモニー管弦楽団理事。
         一般社団法人神奈川経済同友会理事副代表幹事。
         公益財団法人横浜観光コンベンションビューロー評議員、他多数。

野並直文氏

              次のページ

このページに掲載されている情報の発信元
農畜産業振興機構 企画調整部 (担当:広報消費者課)
Tel:03-3583-8196



このページのトップへ

Copyright 2016 Agriculture & Livestock Industries Corporation All rights Reserved.