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【トップインタビュー】「食」を「食文化」にするために必要なこと                     〜伝統をつないでいく「誇り」と「使命感」〜

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最終更新日:2014年9月3日

オテル・ドゥ・ミクニ代表 三國清三氏に聞く

フランス料理界のみならず、長い海外経験によって培われた幅広い視点から、教育界でも精力的に
活躍される三國清三氏。
長年取り組まれている「味覚の授業」の魅力、さらに、これからの日本の食と農に求められること等
についてお話を伺いました。

ご自身の味覚の原点はどこにあるとお考えですか。

三國シェフ
私は、日本海に面した北海道の増毛町で生まれました。
父は漁師でしたが、ちょうどニシンがとれなくなった時期で、家は貧しく、海が荒れて三日から一週間、漁に行けないと食べるものにも不自由するほどでした。
しけがおさまり、凪になった朝の3時か4時頃、父と一緒に浜に打ち上げられた魚介類を採りに行きまし
た。すると浜に打ち寄せられたものの中に必ずホヤがあって、お腹が空いて食べるものがなかったから、ホヤを浜で切って、海水で洗って食べていました。
ホヤは「海のパイナップル」といわれ、生物体で唯一、甘い、しょっぱい、酸っぱい、苦い、うま味(五味)があり、この時に自然と味覚が鍛えられたと思っています。
私は、「味覚の授業」を行っていますが、この幼少の頃の経験を大切に子どもたちに伝えています。

シェフが行っている「味覚の授業」の魅力とは何でしょうか。

2000年から味覚の授業「KIDSシェフ」という取り組みを行っています。
小学校高学年の生徒を対象に、課外授業で自分たちの郷土について、半年から一年かけて勉強してもらっています。
新潟では地元の農家の方々にも協力いただいて、田植えから始まり秋の収穫、さらに地域の料理人さんと一緒に勉強して、自分たちが作った食材や、発見した食材でレシピを作り、それをみて私がフルコースを作ります。
自分たちの郷土のことって意外と知らないんです。
しかし、課外授業を通して、どんな人が住んでいて、どういう生態系があるのか、農家の方々がどんな思いで作物を作っているのかなど、いろいろなことを発見していきます。
そうした経験によって、子どもたちに郷土愛が生まれ、自分たちのふるさとを誇りに思えるようになります。
さらに大切なのは、自分たちが作った食材やレシピで担任の先生やみんなが喜ぶことを経験できることです。現代社会では、ともすれば人から与えられる一方になってしまいがちですが、ホスピタリティ(おもてなし)、つまり自分たちが人に何か提供して、人が喜び、自分たちも嬉しいという気持ち、そ
ういう心を学ぶ経験は非常に大切です。
この活動は、もう15年ほど続けていますから、最初の頃の子どもたちは成人しています。

食育基本法ができたのは2005年ですが、それ以前から「味覚の授業」に取り組まれていらっしゃるんですね。

そうです。
1985年頃にフランスの学者が、12歳頃までに甘い、しょっぱい、酸っぱい、苦い(四味)を教わっていない子は、大人になって我が子を簡単に虐待したりする、また、親に叱られるとバットで殴り返して親を傷つけたりしてしまうという現象が起きると予言しました。
それを受けて、イタリアやフランスのシェフたちが、それはもうそういう国になったらおぞましい、そんな国は滅びてしまうということで、彼らが立ち上がり、スローフード運動が起こりました。
2つの美食の国が立ち上がったことをきっかけにこの運動は世界に広まり、私もフランスのシェフ仲間から声を掛けられ、2000年からこの運動に加わりました。
先の学者の予言が当たっているかどうかは別として、我が子を簡単に虐待したり、子が親を傷つけてしまうなどの痛ましい事件は、日本以外の他の国ではそう多くないんです。
ですから私は、食育の大切さについてもっと情報発信していきたいと思っています。
ちなみにフランスでは、10月の第三週は正しい味覚を意識する週として国民的運動となっています。

十数年続けてこられて子どもたちは変わりましたか。

子どもたちはみんな、12歳頃までピュアで今も昔も目をキラキラさせて、変わっていません。
我々の体は、脳が12歳頃で出来上がり、歯も12歳頃で入れ替わり、味を伝える味み 蕾らい
も12歳頃で完成するといわれています。
12歳頃が完成のピークなんです。
子供たちは、見る、聞く、嗅ぐ、触る、味わう、の五感に初めて触れることで、刺激されて敏感になります。
脳が刺激をキャッチすることで、いわゆる感性が宿ります。
ですから、人間としての形が完成するまでに、甘い、しょっぱい、酸っぱい、苦い、それに「うま味」を加えた五味を味蕾を通じて脳を刺激することが大切です。
感受性が発達することで、周りもよく見ることが出来るようになりますから、例えば周りのお友達が喜んでいたら、なんでそんなにうれしいの? 悲しんでいたら、どうしたの? なんか叱られたの? と聞いてみる。
そこで初めて子供たちは人に対しての「気づき」「思いやり」「慈しみ」を覚え、個々のこころ気持ちが、ぱっと開花します。
それを体験しない子は、個々の気持ちが閉じていますから、親になって平気でわが子を虐待したりする。
12歳頃までに五味を体験していない子どもは個々の気持ちが閉じているので、人に注意されると、なんだ! と殴り返してきたり、傷つけてしまったりする。
ですから、人間形成における食の意義を念頭に置いて、12歳頃までに五味を経験させる活動を続けています。
一方で、「食は三代」という言葉がありますが、親の変化も気になります。

「食は三代」とはどういう意味ですか。

「食は三代」というのは、お爺ちゃん、お婆ちゃん、その子ども、孫の三代できちんとした食の正しさを学ぶという意味です。
味覚は親や祖父母の影響を受け、本人の努力だけで変えることは難しい。
逆に言えば、三代で悪い習慣を身につけてしまうこともあるわけです。
最近、話題のアレルギー問題も戦前はほとんどありませんでした。
朝食を抜いたり、簡単な食事で済ませるなど、親の食生活の乱れが子どもたちの代に影響しているのではないかと思います。
三代で悪化してきた「食」を、今の小学生たちから、また、三代かけて戻していきたい。
三世代で続けていけばいい循環に戻るはずと思い、食育活動を続けています。
和食の世界遺産登録が話題になっていますが、日本人は登録を喜ぶだけでなく、もう一度、その基本となる「一汁三菜(ご飯と味噌汁、それに焼き魚などのお菜かずと漬物)」、また、「郷土料理」「おせち料理」というものを、見直す必要があると思います。
世界遺産になったことを自慢するだけではなく、和食について我々が、子どもや孫たちの代まで永遠に受け継いでいくという、使命感も必要ではないかと感じています。

郷土料理といえば、東京にも伝統的な食材はいろいろありますが。

今、江戸東京野菜がブームになっていますが、4年ほど前に私がきっかけを作ったんです。
各地に地産地消ってあるのに東京にはないのかなと調べたら、地元の農家が継承していて江戸時代から続いていました。
ブームとなったことで若い人が参画して農家数も増えています。
東京の土壌というのは富士山の火山灰で上がサラサラになっていて、水はけがよく、下は粘土質なので野菜たちは根をぐわーと伸ばします。
だから、東京野菜は日本で一番根が長く、根先が良く、粘土質の中の栄養素が入ってきます。
また、周りに住宅街が多いですから、肥料を多くまけないし、極端に農薬が少ないんです。
そのため、江戸東京野菜は日本一安全で安心で健康じゃないかって、皆さんにプレゼンしたら、もうみなさん目から鱗で、今のブームにつながっていきました。
また、野菜だけでなく、東京には牛、豚、鶏といった畜産物や東京湾の魚など食材は豊富です。
6年後の東京オリンピックに向けて、海外からのお客さんを東京の食材でおもてなししたいという運動をしています。

農業の現場では後継者不足が深刻ですが、どのようにお感じになりますか。

三國シェフ
よく「食文化」という言葉を耳にしますが、日本では「食」というのは文化にはなっていないと感じます。
なぜかというと、私が「現代の名工(卓越した技能者)」の表彰を受けた時に聞いたのですが、歌舞伎役者や漆塗りの方は人間国宝が出るんですが、「食」というのは文部科学省が選定する対象に入っていないため、「食」に関わる者が人間国宝に選ばれることはないんです。
フランスでは、レジオンドヌール勲章といって料理人から生産者まで最高勲章をいっぱい与えます。
なぜなら、フランスでは「食べることは人生の最大の喜び」であり、それを提供している人に勲章を贈るのは当然でしょうという文化が育っているからです。

一方で日本は、「食」は文化と言いつつ、まだ、風俗扱いです。
働く動機には、お金もありますが「誇り」も重要です。
農畜産物の生産者、杜氏(とうじ) 、料理人などが、農業や食に関わる仕事に「誇り」を持てることが後継者不足の解消にもつながると思います。
歌舞伎の世界にあるような、伝統を守っていく「誇り」や日本を代表しているという使命感が「食」の世界にも必要だと思います。

京都府教育委員会は昨年3月、京料理の老舗「瓢亭(ひょうてい)」第14代当主で料理人の高橋英一さんを府の無形文化財保持者(京料理・会席料理)に指定することを決めました。
料理人が無形文化財に指定されるのは国や各都道府県を通じて初めてのことです。
「攻めの農林水産業」として、日本の農畜産物の輸出を増やそうという動きがあります。
日本の食材を海外の方に買ってもらう際には、私たち日本人が自国の食文化について勉強し誇りを持つことも必要だと思います。

オテル・ドゥ・ミクニ代表 三國 清三

昭和29年 北海道増毛町生まれ。
昭和44年 15歳で料理人を志し、札幌グランドホテルにて修業を始める。
      その後、帝国ホテルに移り修業を続ける。
昭和49年 弱冠20歳で駐スイス日本大使館の料理長に就任。
      大使館退任後も複数の三ツ星レストランにて修業を重ね、昭和58年に帰国。
昭和60年 東京四ツ谷にオテル・ドゥ・ミクニを開店。
平成11年 フランス・ボジョレーにてルレ・エ・シャトー世界5大陸トップ・シェフの1人に選ばれる。
平成16年 『 ニューズウィーク日本版』 「世界が尊敬する日本人100」の1人に選ばれる。
平成25年 フランスの食文化への功績が認められ、フランス・トゥールにあるフランソワ・ラブレー大学にて
      名誉博士号を授与される。

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